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大分県竹田市の岡城跡では、例年11月上旬から下旬にかけて、もみじを中心に約2500本の木々が色づきます。城内の散策ルートは、本丸だけを回るなら30分から40分、城内をぐるりと一周するなら90分から120分が目安です。紅葉の撮影場所としてよく名前が挙がるのは、本丸のさらに奥にある廟所跡です。
岡城は、切り立った崖と深い谷に四方を守られた山城で、攻め落とすのが難しい城として名を残しました。いまは国の史跡に指定されています。春はソメイヨシノを中心に約450本の桜が咲く桜の名所でもあり、雪景色でも知られる城跡です。

岡城跡の紅葉の見頃は例年11月上旬から下旬で、撮影の本命は廟所跡
秋に岡城跡を歩くなら、11月の上旬から下旬が狙い目です。紅葉する木の大半はもみじで、石垣との対比が見どころです。
撮影場所を一つに絞るなら、本丸を通り過ぎた先にある廟所跡です。
岡城跡では紅葉祭りやライトアップは行われていない
岡城跡では、紅葉の時期に合わせた祭りやライトアップは行われていません。
その年の色づき具合が気になるときは、天気予報サイトの情報が役に立ちます。tenki.jpやウェザーニュースは、例年9月ごろから紅葉の見頃予想を出しています。出かける前に最新の予想を見るか、岡城料金徴収所に電話で様子を聞くと、見頃を外さずに済みます。
紅葉の季節は平日でも人が多い
紅葉の時期は、平日に訪れても観光客の姿が多かったという訪問記があります。週末はさらに混み合うことが予想されます。
岡城跡の散策ルートは3種類あり、紅葉の撮影なら一周ルートを選ぶ
城内の見学ルートは大きく分けて3通りあります。所要時間の目安は次のとおりです。
| ルート | 所要時間の目安 |
|---|---|
| 本丸ルート | 30分から40分 |
| 西の丸ルート | 40分から60分 |
| 城内一周ルート | 90分から120分 |
紅葉の季節に写真を撮りながら歩くなら、一周ルートが向いています。
三の丸から二の丸へは高石垣の続く道を歩く
三の丸の北側から二の丸にかけては、高く積まれた石垣が続きます。公式情報でも見どころとされる景観で、山頂へ向かう道沿いの堂々とした石垣からは、800年以上の歴史を持つ城の雰囲気が伝わってきます。
二の丸跡で瀧廉太郎像と休憩所に立ち寄る
二の丸は本丸の北側にある曲輪です。ここには朝倉文夫の作による瀧廉太郎の像が立っていて、記念写真を撮るのにちょうどよい場所になっています。休憩所もあり、ひと休みできます。
瀧廉太郎は子どものころを竹田で過ごした作曲家で、『荒城の月』の曲想はこの岡城跡で生まれたと伝わります。荒れたままになっていた岡城に登って遊んだ思い出が強く残り、それが曲につながったという話もあります。
本丸跡はくじゅう連山を望む城内でいちばん高い場所
本丸は、城の中でもっとも高い場所に置かれた曲輪です。目立った遺構は残っていませんが、ここからはくじゅう連山を見渡せます。
本丸跡には、陽明学者の熊沢蕃山をたたえる碑などが立っています。熊沢蕃山は3代藩主の中川久清に招かれて岡藩に来た人物で、山や川を治める工事や植林、郷村制度の強化に力を注ぎました。
西の丸跡は藩主の御殿が置かれた広い曲輪
西の丸跡は、城内でもとりわけ広い曲輪です。藩主である中川氏の御殿があった場所で、3代藩主の中川久清が隠居したときに建てた御殿が始まりだと伝わります。藩政時代の後半には、藩の政治を行う役所としての役目も担いました。
西之丸御殿跡のさらに先には角櫓跡があり、ここに立つと駐車場を見下ろせます。
城の中心の太鼓櫓と鐘櫓、近戸門と北千畳の先
太鼓櫓は城のほぼ真ん中にあった櫓で、城の中に時刻を知らせるために太鼓が打ち鳴らされていました。すぐ隣の鐘櫓には銅の鐘が置かれ、非常時にはこちらの鐘が鳴らされたそうです。
近戸門の跡は、阿蘇山と城下町を一望できる場所とされます。また、北千畳を越えた先には、岡城の出丸にあたる観音寺山城跡があると伝わります。道ばたには四等三角点も置かれています。
岡城の石垣は阿蘇溶結凝灰岩でできており、模様から「虎目石」と呼ばれる
岡城の石垣に使われている石は、阿蘇溶結凝灰岩です。阿蘇山の大きな噴火で噴き出した火山灰などが積もって固まった岩で、この地域ならではの火山岩にあたります。その模様から、虎目石という呼び名もあります。断崖の縁に築かれた石垣もあります。
阿蘇溶結凝灰岩は約9万年前の火砕流がつくった石
阿蘇溶結凝灰岩とは、阿蘇カルデラの内側から噴き出し、カルデラができる原因になった火砕流が積もり、その堆積物が溶結して固まった岩石を指す通称です。中部九州では「灰石」の名で通り、昔から石材として使われてきました。
約9万年前に起きた阿蘇4火砕流は、160km以上先まで届いたとされます。この堆積物は場所によって溶結の度合いが違い、ほとんど溶結していないところもあれば、固く溶結したところもあります。岡城の石垣の石も、この系統に属します。また、竹田に残る阿蘇火砕流の堆積物は、地質鉱物の分野で国の天然記念物に登録されました。
岡城そのものも、阿蘇山の火砕流がつくった海抜325mの岩山の上に建てられました。
石垣に残るホゾと楔、布積み、鏡石の工夫
石垣をよく見ると、積み方の工夫がいくつも見つかります。東側の石垣では、石材にホゾと呼ばれる切り込みを入れて楔を差し込み、石垣どうしがずれないようにしてあるそうです。
太鼓櫓のあたりの石垣は、横の継ぎ目を一直線にそろえて積む布積みという方法で組まれています。太鼓門櫓の石垣には、鏡石と呼ばれる平らで大きな石がはめ込まれています。
大手門跡に残る枡形虎口と、城の区画を表す曲輪
曲輪(くるわ)とは、土塁や石垣、堀などで城の内と外を区切った区域のことで、「郭」と書くこともあります。江戸時代になると、中心となる曲輪に本丸、二の丸、三の丸といった名が付けられるようになりました。岡城の西の丸や三の丸も、それぞれ曲輪の一つです。
虎口(こぐち)とは、城の出入口のことです。もともとは幅を狭めた出入口という意味で「小口」と書き、のちに危ない出入口を表す「虎口」の字があてられるようになりました。虎口は敵を食い止める場所であり、守りと出撃の両方に使えるよう工夫が重ねられました。
枡形(ますがた)は、虎口の中でもっとも発達した形です。虎口の内側に四角い空間をつくり、二つの門を直角に並べるのが一般的な形で、敵がまっすぐ進めないようにしたうえで、周りから攻撃を加えられます。門を一つずつ開けることで、怪しい者を調べたり、兵の列を組み直したりする場としても使われました。枡形は馬出しとともに16世紀後半に生まれた仕組みで、その後の近世の城でも使われ続けます。
岡城の大手門は、現在の西向きの位置に改められたと伝わる門で、この枡形虎口に横矢掛けを組み合わせた、実戦を想定した造りです。攻めてきた相手を門の正面へと誘い込み、櫓台の上から矢や鉄砲を浴びせる仕組みになっていました。
岡城の歴史は1185年の築城伝承から始まり、1874年に建物が取り壊された
岡城の始まりは、1185年に緒方惟栄が源義経を迎え入れるために城を築いたという言い伝えにまでさかのぼります。14世紀になると、大友氏の領地の監督役だった志賀氏が、常設の城を築いたとされています。
その後、志賀氏は朝鮮出兵での失敗をとがめられ、豊臣秀吉から城を出るよう命じられました。代わって入ったのが中川氏です。中川秀成は文禄3年(1594年)に、現在の兵庫県にあたる播磨国三木から6万6000石で岡城に入り、3年をかけて岡城を近世の城郭へと造り替えました。それから明治維新まで、竹田は中川氏の城下町でした。
岡藩の土台を固めたのは、3代藩主の中川久清だとされます。
中川氏は277年にわたって岡城を本拠とし、明治維新を経た1874年に城は取り壊されました。いま城跡に残っているのは、石垣を中心とした遺構です。
岡藩主中川家墓所は1997年9月2日に国の史跡になった
岡藩主中川家墓所は、旧岡藩主の中川家が眠る墓地で、範囲は竹田市から豊後大野市に及びます。1997年9月2日に国の史跡に指定され、墓所は3か所に分かれています。
城下の碧雲寺は、初代藩主の中川秀成が建て始めた寺です。宝塔や輪塔などの墓塔が、寺の北側の山すそに並んでいます。3代の久清は大船山を好み、墓の地として大船山中の鳥井窪を選んでいました。その墓は城下の北にある大船山の中にあり、本人の遺言に従って儒葬で営まれました。8代の久貞も遺言によって儒葬とされ、城下の東にある小富士山に葬られています。
竹田市教育委員会が保存整備を進めてきた
1980年代後半から1990年代には、竹田市教育委員会が整備や修理の事業を進め、その報告書もまとめています。報告書の対象には、昭和63年度の史跡岡城跡保存整備事業や平成6年度の保存修理(災害復旧)事業が含まれます。
岡城跡の入場料は高校生以上300円で、駐車場は無料
岡城跡の入場料は、次のとおりです。20名以上で訪れる場合は団体料金が使えます。
| 区分 | 個人 | 団体(20名以上) |
|---|---|---|
| 高校生以上 | 300円 | 200円 |
| 小・中学生 | 150円 | 100円 |
開城しているのは9時から17時までで、入場は16時30分までとする案内があります。休みは12月31日から1月3日までの年末年始です。城内では無料のWi-Fiが使えますが、コインロッカーは置かれていません。
JR豊後竹田駅から徒歩なら30分から40分、車なら約5分
公共交通機関で向かう場合、最寄り駅はJR豊後竹田駅です。駅から岡城跡までは約2kmあり、歩くと30分から40分ほどかかります。道の最後は上り坂です。車やタクシーを使えば、駅から約5分で着きます。
車なら、中九州横断道路を使って竹田ICで降りれば約10分で到着します。大分米良ICを起点にすると、50分から70分ほどの道のりです。
駐車場は無料で、一般用が約140台、バス用が9台分あります。岡城跡には自家用車で入れないので、車で来た人も駐車場に車を置き、そこから歩いて城内へ入ります。
岡城跡を歩くときの注意点は滑りやすい足元と柵のない石垣
岡城跡を歩くうえでいちばん気をつけたいのは足元です。城内には坂道と石段が多く、しかも苔が生えて滑りやすい場所があちこちにあります。靴は、滑りにくい底のものを選ぶのが安心です。
雨の日は、ただでさえ滑りやすい足場がさらに危なくなります。石垣の上には柵が設けられていません。
段差が多いことから、ベビーカーや車椅子で城内を見学するのは難しいとされています。
竹田市の城下町では瀧廉太郎記念館や廉太郎トンネルにも立ち寄れる
竹田市の城下町には、岡城跡とあわせて立ち寄れる場所があります。
瀧廉太郎記念館は、瀧廉太郎が12歳から14歳までを過ごした旧家です。JR豊後竹田駅から歩いて10分の場所にあり、入館料は大人300円です。入館できるのは9時から16時30分までで、17時に閉館します。
廉太郎トンネルは、江戸時代の終わりごろに酒蔵として掘られた岩屋を使ったトンネルです。中を通ると、瀧廉太郎が作曲したメロディーが流れてきます。城下町には、武家屋敷や迎賓館などの古い建物も残っています。
名水百選の竹田湧水群は4か所を見学できる
竹田市には、名水百選に選ばれた湧き水があります。河宇田、矢原、泉水、長小野、尾戸牟礼の5か所をまとめて竹田湧水群と呼び、このうち尾戸牟礼を除いた4か所を見学できます。
秋の岡城跡は11月の一周ルートで紅葉と高石垣を両方楽しめる
岡城跡の紅葉は例年11月上旬から下旬が見頃で、もみじと阿蘇溶結凝灰岩の高石垣との対比が見どころです。写真を撮りながら歩くなら一周ルートを選び、廟所跡まで足を延ばしてください。








