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横浜市金沢区の海の公園には約1キロメートルにわたって人工の砂浜が続いていて、端から端まで歩き通せます。海沿いの道を横浜・八景島シーパラダイスまでつなげば、散策コースは約6.5キロメートルまで延びます。歩くのが目的なら、潮干狩りや海水浴の時期を避けた日か、朝の早い時間に出かけると歩きやすいでしょう。
海の公園は、横浜市の公園のなかで海水浴場があるただ一つの総合公園です。1988年(昭和63年)7月2日に開園しました。住所は横浜市金沢区海の公園10です。砂浜のほか、なぎさ広場や管理センター、バーベキュー場もそろっています。
砂浜を歩くだけでは物足りない日は、隣の野島公園まで足をのばしてみてください。山頂の展望台に上がれるほか、伊藤博文の別邸や縄文時代の貝塚も残っています。波打ち際を歩いたあとで、同じ日に歴史散策もできます。

海の公園の砂浜は約1キロメートル、海外のランニング紹介でトレーニング向きとされる
ランニングを紹介する海外のサイトでは、海の公園の砂は比較的締まっていて歩きやすいうえ、砂浜のほかにもレンガの歩道から幅の広い舗装路まで路面がさまざまなので、トレーニングに向いていると紹介されています。
「約1キロメートル」は汀線に沿って測った長さ
遠浅で波もおだやかな海の公園の砂浜は、汀線の長さで約1キロメートルあります。汀線(ていせん)は、陸と海面が接する境目の線のことで、海岸線とほぼ同じ意味で使われます。打ち寄せる波で海水の届く範囲は毎回変わりますし、潮が満ち引きすれば海面も上下します。そのため、線の位置は一日のなかでも動き続けます。「約1キロメートル」は、この海と陸の境目に沿って測った長さです。
歩く前後の着替えは海の公園の更衣室で、荷物はロッカーへ
砂浜の後ろ側には、なぎさ広場や管理センターが並んでいます。温水シャワーのある更衣室とコインロッカーが使えるので、歩く前に着替えて荷物を預け、歩き終えたらまた着替えて帰れます。
海の公園の砂浜は千葉県産の砂で造られた人工海浜
いま歩ける砂浜は、千葉県産の砂を使って人の手で造った海浜で、横浜市もそのように説明しています。
この一帯は、もとは白い砂浜に青い松が映える遠浅の海岸で、人々が海水浴や潮干狩りに訪れていました。ところが高度経済成長期に埋め立てが進み、横浜の海浜はその多くが姿を消します。1968年、横浜市は六大事業の一つとして金沢地先埋立事業を決め、そのなかに海の公園の整備を組み込みました。砂浜は、隣の野島公園にある乙舳海岸を広げる形で造られています。
海の公園の47.1ヘクタールは総合公園の標準の範囲内
総合公園は、都市公園のうち、街に暮らすあらゆる人が、休んだり眺めたり、散歩や遊び、運動をしたりと、いろいろな過ごし方をまとめて楽しめるように整えた公園を指します。国土交通省は都市の規模に応じて、総合公園を1か所あたり10ヘクタールから50ヘクタールを標準に配置するとしています。法令で一律に決まった基準ではなく配置の目安ですが、およそ47.1ヘクタールの海の公園はこの範囲に収まっています。
砂浜から八景島まで海沿いの道をつなぐと約6.5キロメートルのコースに
海の公園の砂浜は、ほかの散策路とつなげて距離を延ばせます。砂浜の先へ進むと横浜・八景島シーパラダイスに行き当たります。また、海の公園の隣には野島公園があります。
| 区間・コース | 距離・所要時間 |
|---|---|
| 野島公園駅から海の公園柴口まで | 約1.5キロメートル |
| 野島公園駅から野島公園まで | 徒歩約5分 |
| 海沿いの道を八景島までつないだ散策コース | 約6.5キロメートル |
| 散策コースを往復したり組み合わせたりした場合 | 10キロメートルから12キロメートル |
野島山の展望台から平潟湾と海の公園を見渡せる
野島公園の中心には、標高約57メートルの野島山があります。山頂の展望台に上がると、平潟湾や海の公園、八景島まで見渡せます。
野島は、昔は海に浮かぶ独立した島でした。乙舳海岸から砂州が伸びて州崎村とつながり、いまのように陸続きになったと伝えられています。
野島公園で寄り道できる歴史スポットは5か所
野島公園で見ておきたいのは、野島稲荷神社と野島掩体壕、旧伊藤博文金沢別邸、乙舳海岸、それに野島貝塚の5か所です。
旧伊藤博文金沢別邸は2009年に往時の姿へ復元
伊藤博文は1898年(明治31年)、野島に別邸を建てました。明治時代、景色の美しい野島や富岡を含む金沢の一帯は、東京近郊の海辺の別荘地として人気を集めていたそうです。1903年には皇太子時代の大正天皇がこの地を訪れ、1908年には韓国皇太子が、1916年には大正天皇が行幸したと記録に残っています。伊藤が大日本帝国憲法の草案づくりを行った場所には夏島や金沢も含まれ、この土地は憲法草案ゆかりの地としても知られています。
戦後、1959年ごろに建物は横浜市のものになりました。傷みが進んだため玄関と湯殿は取り壊されましたが、2009年(平成21年)に当時の姿へ復元され、庭園とあわせて公開が始まっています。横浜市は2006年にこの建物を指定有形文化財にしました。
建物は客間棟、居間棟、台所棟の3棟に分かれ、伊藤博文ゆかりの資料や調度品を展示しています。場所は野島公園の第2駐車場の隣です。雛飾りや生け花を飾る展示、ライトアップやコンサートといった催しも、1年のうち何回か行われています。
野島掩体壕は全長約260メートルの戦闘機用格納庫
掩体壕(えんたいごう)は、空襲から飛行機を守るための格納施設です。野島掩体壕は展望台の下に掘られていて、野島山の崖面をかまぼこに似た形でくり抜き、コンクリートで補強した造りです。
格納する予定だったのは、旧横須賀海軍航空基地(横須賀市夏島町)の戦闘機だったそうです。工事は1945年(昭和20年)1月に始まり、終戦前日の8月14日に完成したとみられています。現地にある横浜市の案内看板には、全長約260メートルで野島山を東西に貫いていると書かれています。夏島掩体壕と合わせて小型機およそ100機を収める計画でしたが、実際に使われることはありませんでした。
野島貝塚は約8000年前の縄文時代早期の貝塚
野島貝塚は、縄文時代早期、いまから約8000年前の貝塚です。横浜市内で見つかった貝塚のなかでは最も古いとされ、横浜市が史跡に指定しています。
見つかったのは戦後まもなくのことで、山頂と北側の斜面の2か所から出てきました。貝の層は2メートルから3メートルほどの厚みがあり、マガキやアサリ、カリガネエガイなどが混ざっています。出土品には土器や石器のほか、クジラの骨を加工した骨斧もあります。ここで出た土器は「野島式土器」と名付けられています。
野島稲荷神社は鎌倉時代の1227年創建と伝わる
野島稲荷神社は、野島山の南の山腹に建つ神社です。鎌倉時代の安貞元年(1227年)、長島維忠の願いを受けて、その子が建てたと伝えられています。
江戸時代の初めには、紀州藩主の徳川頼宣が野島の南の浜に御殿を構えました。神社がその御殿から見て鬼門の方角にあったため、鬼門を封じる社として大切にされたそうです。山頂にあった善応寺が神社を管理する別当寺だったとも伝わりますが、この寺は南風で倒れ、のちに移っています。
野島の夕景は金沢八景の「野島夕照」として描かれた
野島は、江戸時代に「野島夕照」の名で金沢八景の一つに数えられた景勝地です。金沢八景は横浜市金沢区の平潟湾のまわりに広がる八つの景色で、歌川広重の浮世絵によって広く知られ、関東を代表する景勝地として大勢の行楽客を集めました。
広重の「野島夕照」は、夕日に赤く染まった野島の漁村を描いた錦絵です。手前に観光船、奥に網船が描かれていて、観光と漁業の両方でにぎわった町の様子がわかります。夕照橋という橋の名前も、この絵から取られました。橋の南側あたりで広重が野島夕照を描いたのだろう、という見立てから付いた名前です。
海の公園へは金沢シーサイドラインの海の公園柴口駅か海の公園南口駅が近い
電車で行くなら、金沢シーサイドラインの「海の公園柴口」駅か「海の公園南口」駅が最寄りです。金沢シーサイドラインは、京急本線に接続する金沢八景駅と、JR根岸線に接続する新杉田駅の間を走っています。金沢八景駅と海の公園南口駅の間は、乗ってしまえば約4分です。
「柴口」という駅名は、公園の柴町側の入口から付けられました。京急線を使う場合は、金沢文庫駅から歩いて約20分で着きます。バスなら京急バスの「海の公園」バス停で降ります。
駐車場は1時間310円、入庫から12時間の上限は1550円
車で行く場合は、有料の駐車場を使います。
| 駐車場 | 収容台数 |
|---|---|
| 柴口駐車場(E駐車場) | 1000台以上 |
| 磯浜駐車場(F駐車場) | 360台以上 |
柴口駐車場と磯浜駐車場は、どちらも営業が4時から22時までで、料金は1時間ごとに310円、入庫してから12時間の上限は1550円です。このほかに臨時駐車場もあります。バーベキュー場や海の公園南口駅の近くに停めたいなら、磯浜駐車場が便利です。
潮干狩りや海水浴の時期に車で行くなら、周辺の予約制駐車場をあらかじめ押さえておく方法もあります。
海の公園が混み合うのは潮干狩りの3月から9月中旬と夏の海水浴シーズン
砂浜を静かに歩きたい人にとって、気をつけたいのは潮干狩りと海水浴の時期です。この時期は駐車場だけでなく、砂浜そのものも人でいっぱいになります。
潮干狩りは無料、1人1回2キログラムまで
潮干狩りは例年3月から9月中旬ごろまで楽しめます。料金はかかりません。ただし、2センチメートル以下の小さな貝は採ってはいけないルールで、1人が1度に採れる貝の量は2キログラムまでです。
貝を採りやすいのは潮が引いている時間です。干潮時刻表でその日の潮を見てから、家を出る時間を決めておきます。人出がとくに多いのはゴールデンウィークで、潮干狩りの客が1日数万人にのぼります。
海水浴場の開設は2024年が7月13日から8月31日まで
海水浴場が開くのは夏だけです。2024年は7月13日から8月31日まで開設され、時間は8時30分から17時まででした。開設期間中は、開設時間のあいだライフセーバーが浜を見守り、夜は見回りの警備が入ります。更衣所や水シャワーも用意されています。
ビーチバレー場6面は日の出から日の入りまで無料
砂浜にはビーチバレー場が6面、約40メートル×30メートルのビーチスポーツ広場が1面あります。どちらも無料で自由に使えます。予約は受け付けておらず、例外は公共的な大会だけです。使えるのは日の出から日の入りまでで、夜間や天気が荒れた日は使えません。
「YOKOHAMAビーチスポーツフェスタ」は、この砂浜で毎年夏に行われるイベントです。2024年は8月3日と4日の2日間で、時間は午前9時から午後4時まで。ビーチバレーとビーチハンド、ビーチテニス、それにビーチサッカーを合わせた4種目が実施されました。
冬の海の公園は透明度が高く、アマモとアオサが茂る海を見られる
冬は海の水が澄むので、海の中に茂るアマモやアオサを見られます。海の公園の海には、アマモのほかにカニやアサリなど、たくさんの生きものがすんでいます。野島水路や野島公園のまわりは、マコガレイなどの稚魚が育つ大事な場所です。
アマモ場は2005年にほぼ全滅し、2008年ごろに戻った
アマモは、海の底に根を下ろして育つ海草です。アマモなどの海草が広がった場所をアマモ場と呼び、海藻が茂る藻場の一種に数えられます。
アマモ場は、魚や貝が卵を産み、育っていく場所です。生きものにとっては、エサを取る場所であり、隠れる場所でもあります。沿岸の水産資源を保つうえでも、大事な役割を担っています。ほかにも、窒素やリンを吸収したり放出したりして海水中の物質の循環を支える、水をきれいにする、多様な生きものを養う、海岸線を守る、ブルーカーボンとして炭素を海にため込む、といった役割を持っています。
アマモ場は護岸工事や水質の悪化で減ってきたため、各地で再生が進められています。海の公園もその一つです。市民団体などによる再生の取り組みは、2001年ごろに始まりました。ところが2005年の夏に貧酸素水塊が発生し、アマモ場はほとんど全滅します。それでも2008年ごろまでに、アマモ場は海の公園と野島海岸のほぼ全体を覆うところまで回復しました。
貧酸素水塊は夏に海の底で酸素が足りなくなった水のかたまり
貧酸素水塊(ひんさんそすいかい)は、魚や貝が生きていけないほど水に溶けた酸素が減った水のかたまりです。東京湾のように外の海と水が入れ替わりにくい閉じた海で起こります。生きものが必要とする酸素はおよそ1リットルあたり3ミリグラムで、それを下回った状態を貧酸素水塊とする説明もあります。
増えすぎたプランクトンが死んで沈むと、細菌が分解する過程で海底付近の酸素が使われます。夏は温まった表面の水と冷たい底の水が混ざらないため、底まで酸素が届かず、海底近くが酸欠の状態になります。
横浜市は2019年に海の公園のアマモをブルーカーボンとして認証
ブルーカーボンとは、海の生きものが取り込んだ二酸化炭素が、海の生態系の中に炭素として蓄えられたものです。この名前は国連環境計画(UNEP)が付けたそうです。海底の泥や砂にため込む力が強い生態系としては、海草の茂る藻場や塩性湿地が代表的です。
アマモ場の調査と啓発に横浜市が取り組み始めたのは2015年度です。その後の2019年9月、横浜市は海の公園の区域内にあるアマモが蓄えたブルーカーボンを、二酸化炭素12.3トン分のクレジットとして認証したと発表しました。横浜市にとって初めての取り組みでした。
海の公園を歩くならシーズン外の朝に、公式情報を確かめてから
海の公園の砂浜は約1キロメートルあり、八景島まで海沿いの道をつなげば約6.5キロメートルの散策コースとして歩けます。潮干狩りや海水浴の時期は駐車場も砂浜も混み合うので、歩くことが目的なら、シーズンから外れた時期か朝の早い時間を選ぶのがおすすめです。
利用時間や海水浴場を開く期間は、年ごとに変わります。最新の情報は横浜市の公式ページに載っているので、出かける前に目を通しておきましょう。








