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いろは親水公園は、埼玉県志木市で新河岸川と柳瀬川が合流するあたりにある水辺の公園です。公園をぐるりと巡る「いろは親水公園コース」は約2.7kmあり、市内に9本ある散策路のうちの主なコースです。約1kmと最も短い「桜堤コース」は、体力に自信がない人にも向いています。
志木市は、この公園を歩く人の拠点であり、まちのにぎわいづくりの拠点でもあると位置づけています。公園がある河川区域を占用しているのは市です。自然に親しみながら散策や運動ができ、地域の人が集まれる貴重な空間というのが、市の見方です。

志木市のウォーキングコースは水辺の遊歩道を生かした全9本
志木市は「志木いろはウォーキングコース」という名前で、9本の歩くための道筋を市内に用意しています。もとになったのは、水辺空間を活用するために整えた遊歩道などです。
整備を始めた時点では4本でしたが、その後に5本が加わって今の数になりました。市の紹介ページで詳しく扱っているのは2本で、いろは親水公園コースと桜堤コースがそれにあたります。残りの7本は市内のあちこちに散らばっています。
代表的なコースの距離は、次の表のとおりです。
| コース名 | 距離 |
|---|---|
| いろは親水公園コース | 約2.7km |
| 桜堤コース | 約1km |
| いろは橋・袋橋コース | 1,950m |
| せせらぎの小径コース | 1,300m |
| 宗岡コース | 4,075m |
いろは橋・袋橋コースは、新河岸川沿いの景色が見どころです。
コースの途中では、旧村山快哉堂が目印になります。疲れたら、公園内に置かれた「いこいのベンチ」でひと息つけます。
コースの内容について尋ねたいときは、志木市の健康政策課が窓口です。
コース整備の目的は健康寿命を延ばすこと
市がこれらのコースをつくったねらいは、健康寿命の延伸にあります。健康寿命という言葉を、厚生労働省は「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定めています。
健康日本21(第二次)では、「日常生活に制限のない期間の平均」を主な指標にしました。数値を出すときは、国民生活基礎調査で日常生活に健康上の影響が「ない」と答えた人の割合を、性別と年齢層ごとに計算します。その割合を生命表と組み合わせて求めます。
2022年(令和4年)の値として報告されたのは、男性が72.57歳で女性が75.45歳です。
いろは親水公園へは志木駅東口からバスで約20分
バスに乗るなら、東武東上線の志木駅の東口からです。宗岡循環のバスか、浦和駅西口行きのバスに乗り、約20分で着く「市役所前」で降りれば、公園は目の前にあります。
自転車で訪れる人に向けては、40台以上を止められる駐輪場を設ける想定が、公園の整備計画に盛り込まれました。トイレについても、衛生面に気を配り、バリアフリーや子ども連れにも配慮したつくりにする計画でした。
公園そのものに関する問い合わせは、いろは親水公園パークセンターが受け付けています。
2022年8月1日のリニューアルでウォーターパークとカフェが誕生
今のいろは親水公園の姿になったのは、2022年8月1日のリニューアルオープンからです。同じ年の7月に市庁舎の整備が終わり、その翌月に公園が新しく生まれ変わりました。指定管理者による管理運営も、整備工事が終わったこの月に始まっています。
新しい園内にそろったのは、多目的広場とカフェ、そしてウォーターパークです。
ウォーターパークは季節によって使い方が変わります。夏は水遊びの場になり、それ以外の時期は複合遊具として子どもたちが遊べます。小さな子ども向けの遊具は、いろはパークに置かれています。
ひと休みするなら、客席20席のベーカリーカフェがあります。店を運営しているのはBakery & Cafe DAISYです。
公園の運営を支えるパークセンターは、管理の拠点であると同時に、市民と一緒に公園を運営していく場所と位置づけられています。
管理運営は指定管理者のSHIKISAIパートナーズ
いろは親水公園の管理は、指定管理者のSHIKISAIパートナーズが担っています。
指定管理者制度が生まれたのは、地方自治法が改正された2003年(平成15年)のことです。それまでの管理委託制度に代わり、民間企業も含めた団体が、自治体から指定を受けて公の施設を代わりに管理できるようになりました。団体に法人格がなくても指定を受けられますが、個人は対象外です。どの団体を指定するかは、議会の議決で決まります。
施設を使うための許可は、指定管理者が出せます。一方で、使用料を強制的に取り立てることや、不服申立てへの決定のように、法令で自治体の長にしか認められていない権限は任せられません。施設を設置した責任も自治体側に残ります。利用料金制度を取り入れた場合は、利用者が払う料金を指定管理者の収入にすることも可能です。
民間の力を取り入れる検討から始まった公園づくり
公園の魅力を高めるため、市は民間活力導入可能性調査を行いました。飲食施設や遊具の整備に加え、市指定文化財である旧村山快哉堂をどう活用するかも、民間の力を借りる検討の対象に入っていました。基本計画をまとめる作業や、事業者を募集するための準備も、計画の中に組み込まれていました。
船着場と護岸は「川の国埼玉はつらつプロジェクト」で整備
いろは親水公園の船着場や護岸は、「川の国埼玉はつらつプロジェクト」という埼玉県の取組で採択された事業によって整備されました。市がまとめた「志木市かわまちづくり」計画も、国土交通省が設けた「かわまちづくり支援制度」へ登録を済ませています。
かわまちづくり支援制度で受けられる支援
かわまちづくり支援制度とは、川の空間とまちの空間を一緒に整えようとする地域の動きに対し、国土交通省の河川管理者が力を貸す制度のことです。取組の中心になれるのは、市町村のほか、市町村と民間事業者の組み合わせや、市町村が加わった法人格のない協議会などです。これらの推進主体が、河川管理者とともに「かわまちづくり計画」をつくります。
計画に盛り込むのは、水辺とまちづくりの基本的な方針、支援を受ける事業の内容、そのほかの特記事項です。登録された基本計画にもとづき、河川管理者は必要なソフト面とハード面の両方から支援します。登録されると、国の情報発信を通じて全国に紹介されるという利点もあります。
令和7年8月の時点で、登録数は全国で303か所にのぼります。相談したいときの窓口は「かわまちづくりよろず相談窓口」で、通称を「かわよろず」といいます。設置先は国土交通省水管理・国土保全局河川環境課です。計画をつくる際の手引きは、令和7年3月に出た第2.1版が今の版です。
志木さくらフェスタは毎年3月にいろは親水公園で開かれる春のイベント
春の公園で開かれる催しが「志木さくらフェスタ」です。新河岸川と柳瀬川が交わる公園を会場に、毎年3月に開かれています。
運営しているのは、志木市コミュニティ協議会が立ち上げた志木さくらフェスタ実行委員会です。こころと体を健康にすることを目的とした「春の健康DAY」事業の一つとして位置づけられています。いろはの渡しと並んで、観光客を呼び込むための市の事業にもなっています。
直近の第9回の開催日は、2026年(令和8年)の3月28日(土)と29日(日)でした。時間は両日とも10時から15時で、会場は中宗岡5丁目にあるいろは親水公園でした。それより前の回を振り返ると、第7回が令和6年3月23日と24日、第8回が令和7年3月22日と23日の開催です。第5回は新型コロナウイルスの影響を受け、開催を取りやめています。
催しの中には、志木駅から公園までの道のりを歩きながらスタンプを集める企画があり、毎年行われています。同じ時期には、志木いろはウォークフェスタや和舟回遊体験といった関連イベントもあります。過去の回では、「ふれあい福市」が開かれたり、和舟「いろは丸」に乗れる「いろはの渡し」が行われたりした年もありました。
桜の見ごろは例年4月初旬で市外からも花見客が訪れる
新河岸川と柳瀬川の両岸に続く桜並木は、多くの花見客でにぎわいます。市の外から足を運ぶ人も少なくありません。柳瀬川沿いを歩いたときの眺めが美しいという利用者の声もあります。
花が見ごろを迎えるのは、例年4月の初めごろです。2025年は4月5日の時点で、「今が見頃」と知らせる投稿が気象情報サイトに届いていました。花見に関する問い合わせ先は、志木市観光協会です。
5月の鯉のぼりに合わせて和舟「いろはの渡し」に200円で乗れる
端午の節句を迎える5月は、公園の空に鯉のぼりが揚がります。期間中には、市が手がける和舟の回遊事業「いろはの渡し」も行われます。
鯉のぼりの始まりは1990年で、市制施行20周年を記念して新河岸川の上空に鯉のぼりを揚げた事業でした。その後は観光協会が受け継いで続け、今はいろは親水公園に場所を移しています。
2024年(令和6年)は、志木市観光協会が4月20日から5月18日まで、3メートルの鯉のぼりを30旒掲げました。5月5日には10時から15時まで舟が出て、料金は200円で、小学生以下はかかりませんでした。雨や強い風の日は運航を見合わせる決まりでした。乗った人たちは、風に泳ぐ鯉のぼりを舟の上から見上げていました。
2023年は、5月5日(金)の鯉のぼり掲揚にあわせて10時から15時まで運航されました。このときの200円は、保険料にあたる金額として設定されたものです。別の年の5月5日には、船頭が案内しながら新河岸川を約30分かけて周遊するコースが用意されていました。
観光用の和舟はグラスファイバー製の20人乗り
志木市が観光のために導入した和舟は、木ではなくグラスファイバーでつくられていて、20人まで乗れます。
和船は、もともと木で造り、櫓や櫂をこいで進むものでした。やがて船外機で動かすのが一般的になります。木材の値段が上がったことなどから、今では木造の和船はほとんど新しく造られていません。そのため、船大工の技をどう次の世代に伝えるかが課題になっています。
新河岸川沿いに残る旧村山快哉堂といろは樋
公園のまわりには、志木の歴史を伝える建物や遺構が残っています。代表的なのが、旧村山快哉堂といろは樋の名残です。
旧村山快哉堂は平成13年に移築復元された市指定文化財
旧村山快哉堂は、公園内の新河岸川沿いに建つ、市が文化財に指定した建物です。明治時代から代々商いを続けた豪商の村山家が、店舗として使っていた土蔵造りの建物で、平成13年に今の場所へ移して元の姿に戻されました。
建物を生かす取組は、快哉堂友の会が担当しています。日本文化を紹介する催しや、建物の前で津軽三味線の演奏を聴く企画が計画されていました。
いろは樋は野火止用水を対岸の宗岡へ渡すための樋
いろは樋は、新河岸川をまたいで水を対岸の宗岡へ送るために、川の上に架けられた樋です。運んでいたのは、玉川上水から分けた野火止用水の水でした。
野火止用水は1655年に完成しました。ところが、しばらくの間は流れの終わりが新河岸川に落ちるだけで、対岸には届いていませんでした。そこで樋を架けたのが、白井武左衛門だと伝えられています。宗岡の領主だった旗本岡部氏に仕えていた人物です。江戸時代の木の樋は宗岡地区の田畑に水を行き渡らせ、その姿は『江戸名所図会』にも描かれました。
はじめは橋のように川の上を渡る樋でしたが、明治31年ごろに、川底をくぐらせて水を送る伏越方式へ切り替えられています。伏越し(ふせこし)とは、水路が川や鉄道、道路といった障害物を横切るときに、その下を通す管水路のことです。「逆サイホン」という別名もあります。
伏越方式に変えたときに造られた煉瓦の大枡は、現存しています。樋の名前も、市内の「いろは橋」や「いろは商店街」といった呼び名に受け継がれました。志木の市街地の街角には、いろは樋の模型や大枡なども置かれています。2011年に建築関係の団体がまとめた報告書は、こうした遺構を残している志木のまちを好ましいものとして取り上げました。
新河岸川の舟運は江戸と川越を結んだ物流の道
公園の前を流れる新河岸川は、かつて物資を運ぶ舟が行き交う川でした。川越と江戸(東京)を舟でつなぐ物資の輸送が、江戸時代の後期から昭和の初めまで盛んに行われていました。
舟運が始まったきっかけは、寛永15年(1638年)の川越大火だったといわれます。東照宮の造営資材を運んだのが最初で、そのとき最初にできたのが寺尾河岸だったそうです。
川越藩は、扇河岸、上新河岸、下新河岸、牛子河岸、寺尾河岸の5つを川越五河岸として整え、川越の商売を支えました。いちばん栄えたのは、幕末から明治の初めごろです。幕末に江戸と川越を結んだ夜行の早船は、乗って一晩寝ていれば江戸に着いたことから「川越夜舟」と呼ばれ、便利に使われていました。
明治に入って鉄道が広がると、舟運は少しずつ勢いを失っていきます。大正3年に東上鉄道(今の東武東上線)が開通したことで、舟運は役目を終えていきました。それでも、福岡河岸の舟問屋の土蔵のように、河岸の跡は今も残っています。
河岸は荷物の積み下ろしをする港町のこと
河岸(かし)とは、江戸時代の舟運で、荷物を船に積んだり陸に揚げたりするための港や拠点のことです。船着き場があるだけでは河岸とはいいません。水の道と陸の道が交わる場所に、物の流れに関わる人たちが町をつくっているところを指します。
もともとは、領主が年貢を運ぶために整えたものでした。それが後になって、一般の荷物も扱うように変わっていきます。1770年代には幕府が河岸問屋を固定し、冥加金を取り立てるようになりました。河岸では問屋を中心に仲間同士の決まりがつくられ、船賃の決め方や、船が難破したときの弁償などを定めて、流通の秩序を守っていました。
志木は引又河岸の市場から発展したまち
志木のまちも、江戸時代に引又河岸の市場を中心に発展しました。2011年のまち歩きでは、いろは樋と引又橋を出発点にして、旧村山快哉堂に立ち寄ってから市場通りへ抜ける道筋が組まれていました。
志木市歴史館は2026年10月26日に開館する予定
公園での散策とあわせて郷土の歴史を知りたい人には、新しい施設も加わります。その施設が「志木市歴史館」で、開館日は2026年10月26日の予定です。
開いているのは火曜から日曜で、時間は9時30分から16時30分までです。月曜は休みになります。入館料はかかりません。館内には志木市の歴史を紹介する展示室が設けられます。
志木市は面積9.05平方キロメートルに3本の川が流れるまち
志木市は埼玉県の南西部に位置し、面積は9.05平方キロメートルです。令和4年7月1日の時点で、約7万6千人が暮らしていました。市になったのは1970年10月26日です。
市の真ん中には新河岸川と柳瀬川があり、東側には荒川が流れています。この3本の川が、志木市のシンボルです。土地の形で見ると、荒川沿いと柳瀬川沿いの二つの低地に、武蔵野台地を加えた三つに分かれます。
まとめ
いろは親水公園は、埼玉県志木市の新河岸川と柳瀬川が合流する近くにある水辺の公園です。市内に9本あるウォーキングコースのうち、公園を巡るいろは親水公園コースは約2.7km、いちばん短い桜堤コースは約1kmで、体力に合わせて選べます。
3月には志木さくらフェスタ、4月初旬には桜、5月には鯉のぼりといろはの渡しがあります。旧村山快哉堂やいろは樋の大枡を見ながら歩けば、引又河岸の市場から発展した志木の歴史にも触れられます。2026年10月26日には、志木市歴史館も開館する予定です。








