大阪府高槻市の高槻城跡と城下町を結ぶウォーキングコースは、阪急高槻市駅を起点に寺町まで至る約3.5キロメートルの散策路です。起点に近いしろあと歴史館で戦国時代から江戸時代の歴史を先に押さえてから歩くと、道筋や寺社の配置に残る城下町らしさがよくわかります。高槻城はキリシタン大名の高山右近が城主を務めた城で、明治時代に建物は取り壊されましたが、町割りや神社仏閣には当時の面影が色濃く残っています。この記事では、高槻城の歴史としろあと歴史館の見学情報、そしてコースの歩き方を実際の地名とあわせて紹介します。

高山右近が城主を務めた高槻城、天正元年から本格整備
高槻城は摂津国、現在の大阪府高槻市城内町周辺にあった城で、別名を入江城といいます。室町時代には入江氏の居城でしたが、戦国時代に織田信長によって攻め落とされ、その後は和田惟政、続いてキリシタン大名として知られる高山右近が城主になりました。高山右近は天正元年、西暦1573年に21歳で城主となり、以後およそ12年間高槻を治めています。この年から本格的な城郭整備が進み、父の代からの町屋を城内に取り込む形で、より堅固な城へと姿を変えていきました。
豊臣家が滅んだ後は内藤信正が城主となり、以降は高槻藩の藩庁として機能し続けます。藩主家は土岐家、松平形原家、岡部家と移り、最終的に永井家が長く高槻藩を治めました。城と城下町はこうした歴代藩主のもとで発展を重ね、北摂地域の政治と経済の中心地としての地位を築いていきます。明治7年、西暦1874年の廃城で建物の多くは失われ、本丸跡は現在の大阪府立槻の木高等学校の敷地となり、石碑だけが当時を伝えています。三の丸跡は現在の高槻城公園にあたり、堀を思わせる石垣や池、高山右近像が置かれています。
発掘調査で確認された障子堀は幅16メートルの実戦仕様
高槻城跡は建物こそ失われましたが、発掘調査でかつての姿を裏づける遺構が次々と見つかっています。永禄12年、西暦1569年に和田惟政が城の基礎を固め、天正元年に高山右近が城下の町屋を城内に取り込んで整備を進めたことが調査からわかっています。軟弱な地盤に石垣を築くための梯子胴木という工法や、強固な土手を築く技術が使われていたことも確認されました。
なかでも注目されるのが、2019年1月に見つかった高山右近時代の障子堀です。幅約16メートル、深さ約4メートル、長さ約70メートルという規模で、堀の底に畝状の仕切りを設けて敵の移動を妨げる高度な築城技術が使われていました。政庁としてだけでなく、実戦を想定した防御機能を備えた城だったことがこの発見からうかがえます。武家屋敷跡では井戸の水を竹筒で複数の場所に配る上水道の跡も見つかり、陶磁器や漆椀に混じって羽子板や将棋の駒、人形なども出土しました。これらの出土品はしろあと歴史館で見ることができ、城下で暮らした人たちの日常を具体的に思い描く手がかりになります。高槻城跡は昭和25年5月に大阪府の史跡に指定されています。
天正2年、野見神社付近に天主教会堂が築かれた
高山右近は父の飛騨守とともに熱心なキリスト教信者で、城主になった当初から家臣や領民に改宗を勧めました。その結果、高槻は京都や堺と並ぶキリスト教布教の拠点へと発展していきます。天正2年、西暦1574年ごろには父の手によって天主教会堂が築かれ、その跡地は現在の野見神社付近にあたるとされています。宣教師ルイス・フロイスの記録によると、木造の壮麗な聖堂で、宣教師の住居や庭園、池、大きな十字架まで備えていたといいます。
天正9年、西暦1581年の時点では、高山右近の領内にいた領民2万5千人のうち1万8千人がキリスト教徒になっていたとされ、領内には20を超える教会があったとも伝えられています。これほどの規模で信仰が広がった城下町は当時の日本でも珍しい例です。その後、豊臣秀吉によるバテレン追放令でキリシタン禁制が強まると、高山右近は信仰を貫くために大名の地位と領地を捨てて高槻を去りました。教会堂は失われ、跡地には野見神社が置かれています。市内には高山右近高槻天主教会堂跡の案内があり、高槻城公園の高山右近像とあわせて、この地とキリシタン文化の結びつきを伝えています。
しろあと歴史館の常設展示は五つのコーナー、入館は無料
高槻城三の丸跡に建つ高槻市立しろあと歴史館は、戦国時代から江戸時代の高槻の歴史を資料と模型、映像で紹介する博物館です。住所は大阪府高槻市城内町1番7号になります。常設展示は「高槻城と人」「城下町のくらし」「西国街道と芥川宿」「淀川と舟運」「人々のなりわいといとなみ」という五つのコーナーで構成され、城主の変遷や城下の暮らし、宿場町や舟運の様子を、パネルと模型を通して直感的に理解できる形で見せています。
企画展示室では、高槻城や高山右近、城下町の暮らしといったテーマを掘り下げる特別展や企画展が年に3回から5回程度開催されています。開館時間は午前10時から午後5時まで、入館は午後4時30分までです。休館日は月曜日で、祝日にあたる場合は開館し、その翌平日が休みになります。年末年始の12月28日から1月3日も休館です。常設展示の観覧は無料ですが、特別展や企画展には有料の回もあるため、訪れる前に最新の展示内容を確認しておくと安心です。コースを歩く前にここで予習しておくと、城下町の道筋や寺社の位置が持つ意味を理解しながら散策できます。
芥川宿は天保年間に旅籠33軒、西国街道と淀川舟運の結節点
しろあと歴史館の展示で扱われている西国街道と芥川宿、淀川と舟運というテーマも、高槻城下の性格を知るうえで欠かせません。西国街道は8世紀に整備された山陽道の系譜を引く道で、京都と九州の大宰府を結んでいました。高槻の市域を東西に約8.1キロメートル通っており、江戸時代にはこの街道沿いに芥川宿という宿場町が形成されます。芥川宿は参勤交代の大名行列や旅人でにぎわい、街道沿いには芥川一里塚も置かれました。最盛期にあたる天保年間、西暦1830年代から1840年代には、宿場内に33軒もの旅籠が並んでいたと伝えられています。
高槻のすぐ南を流れる淀川は京都と大坂を結ぶ水運の大動脈でした。高槻城下は西国街道という陸路と淀川舟運という水路が交わる結節点にあり、人と物資の行き来が盛んで経済的にも発展します。今城塚古墳をはじめとする古墳群の存在もあわせて考えると、高槻は古代から近世まで、交通の要衝としての地の利を生かして歴史を積み重ねてきた土地だとわかります。高槻市観光協会の散策モデルコースには、この西国街道と芥川宿をたどる専用のコースも別に用意されているので、時間に余裕があれば組み合わせて歩くのもおすすめです。
高槻城コースは阪急高槻市駅起点の3.5キロメートル
高槻市と高槻市観光協会が案内する高槻城コースは、観光協会のサイトでは城下町コースとも呼ばれています。阪急高槻市駅を起点に、八丁松原、野見神社・永井神社、しろあと歴史館、高槻城公園、歴史民俗資料館、八幡大神宮、高槻城東大手門跡を経て、寺町の本行寺・理安寺・光松寺に至る、全行程約3.5キロメートルのコースです。高槻城そのものは明治時代に取り壊されましたが、道が微妙に折れ曲がっていたり寺院が一角に集まっていたりと、防御性を意識した城下町特有の町割りを随所に感じ取れます。
高槻市内にはこの高槻城コースのほかにも10コースの歴史の散歩路が設定されており、主要な地点には標柱や説明板が置かれています。高槻市観光協会の公式サイト「たかつきマルマルナビ」では、城下町コースを含む散策モデルコースのA4サイズのリーフレットをPDFでダウンロードでき、事前に印刷しておけば地図を確認しながら歩けます。
コース上の主なスポットと見どころ
| スポット | 位置づけ | 主な見どころ |
|---|---|---|
| 八丁松原 | コース序盤 | かつて松並木が続いた地名の名残 |
| 野見神社・永井神社 | 三の丸北郭跡 | 9世紀創建の古社、江戸期の社殿と唐門 |
| しろあと歴史館 | コース中盤 | 常設展示5コーナー、企画展年3〜5回 |
| 高槻城公園 | 三の丸・二の丸跡 | 高山右近像、石垣と池を模したゾーン |
| 歴史民俗資料館 | 高槻城公園内 | 移築復元された江戸期の商家建築 |
| 高槻城東大手門跡 | 三の丸東側 | 枡形虎口の跡、案内板で構造を解説 |
| 寺町 | コース終盤 | 本行寺・理安寺・光松寺が隣接 |
野見神社と永井神社は三の丸北郭跡に立つ古社
コース序盤で通過する八丁松原は、かつて松並木が続いていたことに由来する地名で、城下町らしい風情を感じさせます。続く野見神社は、社伝によると宇多天皇の時代、9世紀後半ごろに疫病平癒の霊験で社殿が建てられたとされる古社で、祭神は野見宿禰と素戔嗚尊です。もとは高槻城三の丸北郭にあたる場所に位置し、先述のとおりこの地には高山右近が築いた礼拝堂があったとも伝えられています。
境内の摂社である永井神社は、寛政5年、西暦1793年に当時の高槻藩主が藩祖の永井直清を祭神として創建しました。社殿と唐門は江戸時代の建築様式をよく伝える遺構として高槻市の指定文化財になっています。緑の濃い境内に佇む社殿群は、コースの中でも特に見応えのある一角です。
高槻城公園の北エリアは2026年度末に一次開園予定
野見神社・永井神社を過ぎるとしろあと歴史館に到着し、隣接する高槻城公園へと足を進めます。高槻城公園はかつての三の丸跡に整備された公園で、堀の名残を思わせる石垣と池を中心にしたゾーンがあり、市民の散策や休息の場として親しまれています。園内の高山右近像は、キリシタン大名であり築城の功労者でもあったこの人物の存在感を今に伝えています。城下町にあった商家建築を移築復元した建物や外堀の痕跡も見学できます。
現在の中央エリアは、かつての二の丸にあたる場所を中心に整備されたもので、絵図や古写真、発掘調査の成果から確認できる城郭の要素を取り入れつつ、現代の都市公園として部分的に往時の景観を再現しています。堀を模した石垣と池のゾーンのほか、ミニ梅林やせせらぎのゾーンもあり、散策路やベンチが適所に配置されています。高槻市はこれに続く形で三の丸にあたる北エリアの整備も進めており、2026年度末の一次開園を予定しています。将来的には乾櫓や桝形門といった城郭施設も段階的に整備される計画で、駅から徒歩圏で本格的な城下町の風景を体感できる公園として、今後さらに見どころが増えていく見通しです。
歴史民俗資料館は紺屋町の商家を移築、東大手門跡は枡形虎口の跡
高槻城公園内にある歴史民俗資料館は、江戸時代中頃に城下の紺屋町にあった商家を移築復元した建物で、高槻市の有形文化財に指定されています。館内では生活用具や農具、漁具といった民俗資料が保存、展示されており、しろあと歴史館が城と城主の歴史を扱うのに対し、こちらは庶民の暮らしに焦点を当てた内容になっています。両館をあわせて見学すると、城下町高槻の姿がより具体的に見えてきます。
さらにコースを進むと、八幡大神宮を経て高槻城東大手門跡に至ります。東大手門は三の丸の表玄関にあたる正規の城門で、大手御門とも呼ばれていました。現在は建物こそ残っていませんが、跡地の案内板では、かつて大きな石垣造りの枡形虎口が設けられ、敵の侵入を防ぐ折れ曲がった構造になっていたことが説明されています。三の丸跡に建つ中学校の東門へと通じる位置にあたり、現地に立つと城門から城下へ続いていた道筋を実感できます。
寺町の光松寺は高山右近の改修時に移転、本行寺は慶長元年創建
コースの終盤で訪れる寺町には本行寺、理安寺、光松寺が集まっており、城下町特有の寺町の形態を今に伝えています。有事の際に防御拠点として機能するよう寺院をまとめて配置する手法は城下町建設ではよく見られるもので、高槻城の外堀に近いこの一角も同様の町割りを示しています。
光松寺は浄土宗西山派の寺院で、もとは高槻城内にありましたが、永禄年間、高山右近が高槻城を大きく改修した際に現在の場所へ移されたと伝えられています。本行寺は慶長元年、西暦1596年に日重上人が、迫害を受けていた高槻の日蓮宗信仰を再興する目的で建立し、成就山本行寺として知られるようになりました。理安寺は高槻駅に近いこの一角にある浄土宗の寺院で、江戸時代初期の高槻城主だった松平家信が亡き妻を弔うために建て、以後松平家の菩提寺になったとされています。それぞれの由緒をたどると、高山右近の時代から江戸初期の松平家の時代まで、城主の変遷と寺町の歴史が重なり合っていることがわかります。
高槻城公園芸術文化劇場は2023年3月開館、駐車場は約150台
高槻城公園周辺では、令和5年3月18日、西暦2023年に開館した高槻城公園芸術文化劇場も話題を集めています。2022年7月に58年の歴史を閉じた高槻現代劇場の役割を引き継ぐ形で、旧市民グラウンドの跡地に新設された文化施設です。1505席を持つ北摂最大級のトリシマホール、205席の太陽ファルマテックホール、ダンスや演劇の稽古や公演に対応する大スタジオを備え、コンサートや演劇、講演会など多彩な催しが開かれています。
アクセスは阪急高槻市駅から徒歩約8分、JR高槻駅から徒歩約13分で、高槻城コースの散策ルートとも近い距離にあります。駐車場は南館地下2階に約150台分あり、30分200円、1日最大1600円で利用でき、営業時間は7時から23時までです。ウォーキングの途中に立ち寄ったり、公演にあわせて城下町散策を組み合わせたりと、歴史と文化芸術を一度に楽しめる場所として利用が広がっています。
今城塚古墳は継体天皇の真の陵墓とする説が有力な前方後円墳
高槻城コースからは少し離れますが、高槻市を代表する史跡として今城塚古墳も知っておきたいところです。淀川流域最大級の前方後円墳で、総長約350メートル、総幅約360メートルという規模を持ちます。6世紀前半の築造と考えられており、考古学と古代史学の研究者はこの古墳を継体天皇の真の陵墓とみています。
1997年からの発掘調査では、東西約65メートル、南北約6メートルという日本最大規模の埴輪祭祀区が見つかり、人物埴輪や動物埴輪、家形埴輪、器財埴輪など多彩な埴輪が出土しました。現在は「いましろ大王の杜」として整備され、今城塚古墳公園と今城塚古代歴史館をあわせて見学できます。天皇陵とされながら墳丘の中に自由に立ち入れる古墳は全国でもここだけとされ、木立に覆われた墳丘や芝生広場、堤の上では散歩やピクニックを楽しむ人の姿が日常的に見られます。しろあと歴史館の常設展示でも高槻の古代史に関する資料が紹介されており、今城塚古墳とあわせて訪れれば、古代の大王墓から中世、近世の城下町まで、高槻の歴史の流れを一日で概観できます。
高槻センター街と高槻まつりで城下町の賑わいを体感
高槻城コースの起点である阪急高槻市駅と、隣接するJR高槻駅の間には高槻センター街というアーケード商店街が広がっています。ファッション、グルメ、ドラッグストア、美容院など多彩な店舗が並び、散策の前後に立ち寄りやすい立地です。高槻市観光協会のサイトでは、阪急高槻市駅から徒歩1分ほどの場所にあるうどんギョーザが人気の居酒屋など、駅周辺のグルメスポットが紹介されており、城下町散策とあわせて食べ歩きを楽しめます。
高槻市では毎年8月に高槻まつりという市民の祭典が開かれています。高槻音頭や高槻ウェーブという曲にあわせた踊りが中心で、多くの屋台や模擬店が並び、隣接する高槻センター街も祭りの雰囲気に包まれます。祭りの時期にコースを歩けば、歴史散策とあわせて地域の活気も味わえます。こうした商店街や祭りは、高槻城の城下町としての歴史が、観光資源にとどまらず今の暮らしのにぎわいの土台になっていることを示しています。
コースの所要時間はおよそ1時間半、半日プランが歩きやすい
高槻城コースは全行程約3.5キロメートルで、寄り道をせず歩くだけなら1時間から1時間半ほどで回れます。しろあと歴史館や歴史民俗資料館で展示をじっくり見たり、野見神社・永井神社や寺町で写真を撮ったりしながら歩くと、2時間から3時間の行程になることが多く、半日程度のお出かけプランとして計画するとちょうどよい長さです。
起点の阪急高槻市駅とJR高槻駅は大阪梅田や京都からのアクセスもよく、日帰りの歴史散策先として使いやすい立地です。道中はほとんどが平坦な市街地ですが、夏場は日差しを遮るものが少ない区間もあるため、帽子や飲み物を用意しておくと歩きやすくなります。しろあと歴史館や歴史民俗資料館は屋内施設なので、雨の日や猛暑日はこれらの施設見学を中心に据えた行程に切り替える方法もあります。コースの途中には飲食店やカフェも点在しており、休憩を挟みながら無理のないペースで歩けます。高槻城とその城下町は、高山右近から永井家まで、幾多の城主のもとで発展を重ねてきた土地です。しろあと歴史館を起点にしたこのコースを歩けば、その歴史の重なりを実際の町並みの中で確かめることができます。
大阪駅直結の都市型公園を歩きたい方は、グラングリーン大阪のウォーキングコースもあわせてチェックしてみてください。
日本一長い商店街を歩いてみたい方は、天神橋筋商店街のコースもどうぞ。








