倶利伽羅峠は、石川県河北郡津幡町と富山県小矢部市の境にある峠で、標高は約277メートルです。平安時代末期の源平合戦で木曽義仲が平家の大軍を破った古戦場として知られ、平成7年には国の歴史国道にも認定されました。峠一帯には巴塚や猿ヶ馬場といった合戦ゆかりの史跡が点在し、総距離約12.8キロメートルのウォーキングコースを歩きながら巡ることができます。石川県と富山県のどちらからもアクセスできるうえ、春には約6000本の八重桜が咲く花見の名所でもあり、歴史散策と自然散策を一度に楽しめる場所として親しまれています。この記事では、倶利伽羅峠の戦いの経緯から歴史国道としての価値、ウォーキングコースの具体的なルート、周辺の見どころまでをまとめて紹介します。

倶利伽羅峠は北陸道の要衝として歴史国道に認定された
倶利伽羅峠を通る北陸道は、かつて加賀藩の参勤交代で使われた往還道でした。この道が持つ歴史的な価値と、源平合戦の「火牛の計」に関わる史跡が数多く残っている点が評価され、平成7年(1995年)6月、建設省(現在の国土交通省)が進める「歴史国道」の指定を受けました。全国12箇所の一つとしての選定で、単なる観光資源というより、日本の交通史や文化史を伝える遺産としての位置づけです。
さらに、歴史国道「北陸道 倶利伽羅峠」は「新日本歩く道紀行100選」の歴史の道部門にも選ばれています。道が古いというだけでなく、道沿いに残る史跡群の豊かさと、往時の面影を保った景観が高く評価された結果といえるでしょう。現在の倶利伽羅峠一帯は倶利伽羅県定公園として整備されており、石川県側・富山県側の双方から多くの人が訪れています。
歴史国道という制度そのものは、一里塚や関所、並木、宿場といった歴史的な面影を残し、文献などによって歴史的評価が定まっている道を対象に、国土交通省(当時の建設省)が選定してきたものです。かつて人や物資が行き交った形跡を将来にわたって守り、なおかつ新しい文化や情報が行き交う道として活かしていくことが選定の狙いとされています。1995年6月に12箇所、翌1996年3月にさらに12箇所が選ばれ、全国では合わせて24箇所の歴史国道が誕生しました。倶利伽羅峠はその最初期の選定分に含まれており、北陸地方における歴史国道の代表格として位置づけられています。
峠周辺は石川県と富山県にまたがる県定公園として整備されている
倶利伽羅県定公園は、石川県河北郡津幡町の倶利伽羅地区と、富山県小矢部市の埴生・松沢地区にまたがって広がっています。県境をまたぐ公園として整備されているため、片方の県だけでは見られない史跡も多く、両県を行き来しながら歴史を追う楽しみ方ができます。石川県側からは倶利伽羅県定公園としての側面が、富山県側からは埴生護国八幡宮や古戦場としての側面が前面に出ており、歩く方向によって見えてくる歴史の切り口が変わってくるのも興味深いところです。
倶利伽羅峠の戦いは木曽義仲が火牛の計で平家の大軍を破った合戦
倶利伽羅峠が全国的に知られる最大の理由は、寿永2年(1183年)5月11日に起きた「倶利伽羅峠の戦い」の舞台になったことです。この戦いは治承・寿永の乱、いわゆる源平合戦の中でも屈指の規模を誇る一戦とされています。
平氏方は北陸道の反乱勢力を鎮圧するため、平維盛を総大将とする大軍を派遣しました。越前・加賀での前哨戦を経て北上した平氏軍は、信濃で挙兵した木曽義仲の軍勢と対峙します。義仲は源頼朝の従兄弟にあたる人物で、寿永2年5月には約3万1千の兵を率いて越中に入り、砺波山で平氏軍と対陣しました。
平維盛は倶利伽羅山中の猿ヶ馬場に本陣を敷き、7万余騎ともいわれる大軍で源氏軍を待ち構えていたと伝えられています。兵力では平氏方が優勢だったとされますが、義仲はここで巧みな戦術を仕掛けました。味方の軍勢を7手に分けて配置し、平家軍を包囲する形をとったのです。5月11日、日中の小競り合いが終わると、平家軍は本格的な戦いは夜明けからだろうと油断し、山上で休息をとります。しかし義仲軍は夜の闇に紛れて包囲網を狭め、夜更けに一斉に矢を射かける奇襲を仕掛けました。
このとき用いられたと伝えられているのが、後世に語り継がれる「火牛の計」です。数百頭の牛の角にたいまつを結びつけて火を放ち、平家軍に向けて放ったという奇策で、突然の炎と混乱によって平家軍は統制を失い、我先にと逃げ惑うことになったとされています。火牛の計の史実性については研究者の間でも議論があり、平家物語や源平盛衰記といった軍記物語における脚色の可能性を指摘する声もあります。それでもこの逸話が持つ物語としての強さから、倶利伽羅峠の戦いは今なお高い知名度を保っています。
猿ヶ馬場と地獄谷には合戦の記憶が今も刻まれている
平家軍が逃げ込んだ先は、倶利伽羅峠の断崖が連なる谷で、通称「地獄谷」と呼ばれています。伝承によれば、白装束の人影が数十騎ほど谷の方向へ向かうのを見た平家軍は、そこに逃げ道があると思い込み、我先にと谷へ殺到しました。実際には深い谷であったため、後から後から人馬が折り重なるように転落し、多数の死傷者を出したと伝わります。この惨劇の伝承から、この谷には地獄谷という名がついたとされています。
倶利伽羅峠の戦いにおける義仲の勝利は、源平合戦全体の転換点になりました。壊滅的な打撃を受けた平家軍は勢力を大きく減らし、義仲はその後、京へと進軍していきます。単なる一地方の合戦にとどまらず、日本の歴史の流れそのものを動かした戦いとして、猿ヶ馬場周辺には源平供養塔や火牛の計をモチーフにしたモニュメントが今も残されています。
木曽義仲は倶利伽羅峠の戦い翌年に近江国粟津で討ち死にした
木曽義仲(源義仲)は治承4年(1180年)、後白河天皇の第三皇子である以仁王の令旨を受けて信濃で挙兵しました。倶利伽羅峠の戦いでの勝利は、義仲にとって京への道を切り開く決定的な戦果だったといえます。大軍を打ち破った義仲は、その後破竹の勢いで京へと進軍していきました。
しかし義仲の栄華は長くは続きませんでした。京に上洛した後、治安回復への期待とは裏腹に、皇位継承への介入をめぐって後白河法皇と対立を深めていきます。最終的には源頼朝の命を受けた源義経・源範頼らの軍勢に攻められ、義仲は近江国粟津(現在の滋賀県大津市)で討ち死にしました。倶利伽羅峠での圧倒的な勝利からわずか1年足らずでの最期です。この落差の大きさもあって、平家物語の中でもとりわけ印象深い場面として語り継がれています。
義仲を語るうえで欠かせないのが、愛妾として知られる女武者の巴御前です。一騎当千の武勇を誇ったとされ、倶利伽羅峠の戦いをはじめとする数々の合戦で義仲とともに戦ったと伝えられています。義仲最期の戦いでも最後まで共に戦い続けましたが、女を連れていたと言われては名折れになるという義仲の言葉を受け、戦場を離れたという逸話が残っています。その後の巴御前については、源頼朝に召されて鎌倉の武将・和田義盛の妻になったとも、晩年は尼となって長く生きたとも伝えられていますが、史実として確定した記録はなく、あくまで伝承の域を出ないとされています。義仲亡き後、平家は西国へと追い詰められ、寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで滅亡しました。倶利伽羅峠の戦いは、この滅亡へと至る大きな歴史の流れの中で、決定的な転換点となった一戦です。
埴生護国八幡宮は木曽義仲が戦勝祈願した重要文化財の神社
倶利伽羅峠の戦いを語るうえで欠かせないのが、富山県小矢部市に鎮座する埴生護国八幡宮です。寿永2年5月、木曽義仲は倶利伽羅山での決戦にあたり、埴生の地に陣を敷き、この神社に戦勝を祈願したと伝えられています。その結果、火牛の計によって平家の大軍を打ち破ったとされ、この逸話は平家物語や源平盛衰記といった多くの古典文学に記されています。
この故事にちなみ、埴生護国八幡宮は現在でも必勝祈願や合格祈願のスポットとして人気を集めています。受験生の参拝も多く、木曽義仲の故事にあやかりたいという人が後を絶ちません。社殿は国の重要文化財に指定されており、歴史的建造物としての価値も高く評価されています。毎年9月15日前後の日曜日には秋季例祭が開かれ、浦安の舞や宮巡り神事といった伝統行事が執り行われます。倶利伽羅峠を訪れる際には、あわせて立ち寄っておきたい場所です。
倶利伽羅峠ウォーキングコースは総距離12.8キロメートルの本格ルート
歴史国道「倶利伽羅峠」のウォーキングコースは、桜町遺跡から倶利伽羅源平の郷埴生口を経て倶利伽羅峠を越え、倶利伽羅源平の郷竹橋口へと至る経路が代表的なルートとして紹介されています。コースの総距離は約12.8キロメートル、所要時間は約4時間、高低差は約220メートルで、本格的なハイキングを楽しめる内容です。コース上にはトイレや休憩所が整備され、案内誘導看板も設置されているため、初めて歩く人でも比較的安心して臨めます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| コース区間 | 桜町遺跡から倶利伽羅源平の郷埴生口を経て倶利伽羅峠、竹橋口まで |
| 総距離 | 約12.8キロメートル |
| 所要時間 | 約4時間 |
| 高低差 | 約220メートル |
| 設備 | トイレ、休憩所、案内誘導看板 |
石動駅から歴史国道を経て倶利伽羅駅に至るコースなど、鉄道駅を起点・終点とするアレンジも可能で、公共交通機関を利用したアクセスもしやすいのが特徴です。IR倶利伽羅駅を利用すれば、車を使わずに峠を目指すこともできます。倶利伽羅峠は単なる史跡巡りのコースにとどまらず、自然豊かな里山の風景を楽しめる点も魅力です。四季折々の花や木々、鳥の声を感じながら、歴史の重みとともにゆったりとした時間を過ごせます。
コース沿いには巴塚や葵塚、猿ヶ馬場など合戦の史跡が点在する
ウォーキングコース沿いには、源平合戦にまつわる史跡が数多く残っています。木曽義仲の側室として知られる巴御前にゆかりのある巴塚、平家方の武将にゆかりがあるとされる葵塚、平維盛が本陣を構えたとされる猿ヶ馬場など、合戦の記憶を今に伝える史跡を実際に歩きながら巡ることができます。猿ヶ馬場の周辺には源平供養塔や火牛の計をモチーフにしたモニュメントも設置されており、往時の激戦をしのばせてくれます。
事前に巴塚や葵塚、猿ヶ馬場、地獄谷のおおよその位置関係を把握しておくと、より深く歴史を感じながら散策を楽しめます。案内誘導看板が整っているとはいえ、大まかなルートを調べておくと道中の安心感が違ってきます。
桜町遺跡では縄文時代の高床建物跡が発見されている
コースの起点の一つである桜町遺跡は、源平合戦よりもはるかに古い、縄文時代の重要な遺跡です。富山県小矢部市桜町に位置し、約8000年前の縄文時代早期から約2300年前の縄文時代晩期にわたる複合遺跡で、出土遺物のうち1600点が小矢部市指定有形文化財に指定されています。
1988年(昭和63年)の発掘調査では、縄文時代中期末、およそ4000年前のものとみられる高床建物の部材が出土しました。1997年(平成9年)には日本最古級の高床建築部材である可能性が発表され、大きな注目を集めています。それまでの定説よりも約2000年古い時代に、すでに高床式の建物が存在していたことを示す発見です。現在、桜町遺跡は史跡公園として整備されており、環状木柱列が復元されているほか、資料館の桜町JOMONパークでは出土品を見学できます。倶利伽羅峠のウォーキングコースを歩く際には、源平合戦の時代だけでなく、さらに古い縄文時代の暮らしの痕跡にも触れられる点が、このコースならではの魅力です。
倶利伽羅不動寺と手向神社は日本三大不動尊の一つに数えられる
倶利伽羅峠の頂上付近には、高野山真言宗別格本山の倶利迦羅不動寺があります。日本三大不動尊の一つに数えられることもある古刹で、ご利益の多いパワースポットとしても知られています。境内には手向神社も鎮座しており、峠を訪れる参拝者や観光客から信仰を集めています。
駐車場の奥には倶利迦羅不動尊発祥の池と伝わる場所もあり、歴史と信仰が深く結びついたエリアであることがうかがえます。峠の自然と一体になった荘厳な雰囲気は、歴史散策とあわせて訪れる価値の高いスポットです。
倶利伽羅峠へのアクセスは小矢部ICから車で約20分
倶利伽羅峠、倶利迦羅不動寺、手向神社へのアクセスは、車を利用する場合、北陸自動車道小矢部インターチェンジから約20分、金沢東インターチェンジから約40分です。IR倶利伽羅駅からは車で約10分の距離になります。金沢駅から倶利迦羅不動寺までは車で約40分ほどで、金沢観光とあわせて訪れるプランを組む人も多いようです。
駐車場は主に2か所整備されています。一つは手向神社側の駐車場、もう一つは山頂本堂の車両祈願所側にある駐車場です。表参道からしっかり参拝したい場合は、本堂正面側の駐車場に停めるのがおすすめとされています。いずれの駐車場も山道を経由してアクセスすることになり、山頂本堂に近づくにつれて道幅が狭くなるため、運転には注意が必要です。ウォーキングコースを歩く場合は、桜町遺跡側や倶利伽羅源平の郷側など、複数のアクセスポイントが用意されているため、体力や時間に応じてコースの起点・終点を選べます。
倶利迦羅さん八重桜まつりは毎年4月28日から5月5日に開催される
倶利伽羅峠は史跡巡りのスポットであると同時に、県内有数の桜の名所でもあります。峠一帯には約6000本といわれる八重桜が植えられており、春になると山全体が淡い桜色に染まる景色が広がります。毎年4月28日から5月5日にかけては「倶利迦羅さん八重桜まつり」が開かれ、多くの観光客でにぎわいます。
歴史ある古戦場が桜の名所として親しまれているという組み合わせも、倶利伽羅峠ならではの魅力の一つといえるでしょう。合戦から800年以上の時を経た現在、かつての激戦の地は静かで美しい花見の名所として多くの人に親しまれています。桜の季節は特に混雑が予想されるため、時間に余裕を持って訪れることをおすすめします。八重桜まつりの期間中は駐車場の混雑にも注意が必要です。
周辺には道の駅倶利伽羅源平の郷や源平茶屋などのグルメスポットがある
倶利伽羅峠エリアには、史跡巡りやウォーキングの合間に立ち寄りたい観光施設やグルメスポットもそろっています。石川県津幡町側には、北陸街道の宿場町をイメージして建てられた道の駅「倶利伽羅 源平の郷」があります。歴史資料館を併設しており、源平合戦をはじめとする加賀の歴史を学べるほか、ウォーキングコースの起点・終点としても利用しやすく、休憩や情報収集の拠点として重宝します。
同エリアにある源平茶屋では、地元の旬の食材を使った食事が楽しめ、名物の源平弁当や、津幡町の特産品を使った倶利迦羅そばといったご当地グルメを味わえます。昭和47年(1972年)創業という老舗の食堂ドライブイン風車も、昭和の面影を今に伝えるスポットとして知られています。敷地内の倶利伽羅塾では食事や入浴、宿泊のほか、地元特産品の購入もでき、日帰りでも一日がかりの散策でも活用しやすい施設です。
富山県小矢部市側に足を延ばせば、道の駅メルヘンおやべがあります。食べる、遊ぶ、癒されるをテーマにした休憩拠点で、周辺の観光情報も入手できます。小矢部市はユニークな西洋風の建築物、通称メルヘン建築が点在することでも知られており、伝統的な雪国の建築様式アヅマダチを今に伝える大谷博物館や、地上100メートルの展望フロアを備えるクロスランドタワーなど、歴史散策とはひと味違った町歩きも楽しめます。倶利伽羅峠周辺は、源平合戦の史跡や歴史国道としての価値だけでなく、地元グルメやユニークな建築文化など、多彩な楽しみ方ができるエリアです。
倶利伽羅峠を歩く際は歩きやすい靴と時間の余裕を用意しておきたい
ウォーキングコースは約12.8キロメートル、所要時間約4時間という、それなりに本格的な行程になるため、歩きやすい服装と靴で臨むことが大切です。高低差も約220メートルあるため、体力に応じてコースの一部区間だけを歩くなど、無理のない計画を立てるとよいでしょう。史跡が点在するエリアなので、事前に大まかなルートを確認しておくと、迷わず散策を楽しめます。
石川県側・富山県側のどちらからもアクセスできる点も倶利伽羅峠の特徴です。石川県河北郡津幡町側からは倶利伽羅県定公園として、富山県小矢部市側からは埴生護国八幡宮や古戦場としての側面が前面に出ており、両県にまたがる史跡群を巡ることで、より立体的に源平合戦の歴史を体感できます。
倶利伽羅峠は、木曽義仲が火牛の計で平家の大軍を破った古戦場であり、平成7年に歴史国道の指定を受けた歴史的なウォーキングコースでもあります。巴塚や猿ヶ馬場、地獄谷といった史跡をたどりながら約12.8キロメートルの道のりを歩けば、源平合戦の緊迫感を肌で感じられるはずです。埴生護国八幡宮や倶利迦羅不動寺、桜町遺跡といった立ち寄りスポットも豊富で、春には八重桜まつりも楽しめます。石川県と富山県にまたがるこのエリアは、歴史散策と自然散策の両方を味わえる場所として、これからも多くの人に歩き継がれていくでしょう。








