宮城オルレ多賀城コースは、2025年11月にオープンした全長約8.5キロメートルの歴史散策ウォーキングルートです。JR多賀城駅をスタート地点とし、1300年の歴史を誇る古代都市・多賀城の名所旧跡を巡りながら、約3時間で多賀城跡ガイダンス施設のゴールに到着します。国宝に指定された多賀城碑や2024年に復元された壮大な多賀城南門、万葉集や松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも登場する歌枕の地など、日本の歴史と文化が凝縮された見どころが満載のコースとなっています。
このコースの魅力は、アップダウンが少なく初心者でも安心して楽しめる点にあります。仙台駅からJR仙石線で約20分という好アクセスも相まって、週末の日帰りウォーキングに最適です。奈良時代から続く悠久の歴史に思いを馳せながら、四季折々の自然と万葉植物を楽しむことができる宮城オルレ多賀城コースについて、コースの概要から見どころ、準備のポイントまで詳しくご紹介します。

オルレとは何か
オルレとは、韓国・済州島で生まれたトレッキングスタイルのことです。「オルレ」という言葉は済州の方言で「通りから家に通じる狭い路地」という意味を持っており、この小さな路地から始まる自然豊かなコースが「済州オルレ」として整備され、多くの人々に親しまれるようになりました。
オルレの特徴は、山頂を目指す登山や時間を競うオリエンテーリングとは根本的に異なります。コース内の要所に配置された目印を頼りに、緩やかな自然道を自分のペースでゆっくりと歩くことが基本です。急ぐ必要はなく、道中の景色や文化、人々との出会いを楽しみながら、心と体を癒すことができるのがオルレの醍醐味といえます。
宮城オルレの誕生と発展
宮城オルレは、済州オルレの姉妹版として2018年10月に誕生しました。最初に開設されたのは気仙沼・唐桑コースと奥松島コースの2つで、その後、登米コースや大崎・鳴子温泉コースなどが順次加わっていきました。そして2025年11月、県内6番目のコースとして多賀城コースが新たにオープンしました。
宮城オルレは本州で初めて誕生したオルレコースであり、九州オルレやモンゴルオルレとともに、済州オルレの国際的なネットワークの一員となっています。風景と温泉、文化と歴史を五感で感じ、体験できる特別なトレッキングとして、国内外から多くの注目を集めています。
オルレの標識とカンセの役割
オルレコースを歩く際に欠かせないのが、コース上に設置された独特の標識です。まず目を引くのが「カンセ」と呼ばれる馬のオブジェで、カンセは済州の方言で「子馬」という意味があります。この名前は「カンセダリ(のんびりとした怠け者)」から由来しており、オルレの「ゆっくり歩く」というコンセプトを象徴しています。カンセの頭が向いている方向に進めば、次の標識が見つかるようになっているため、道に迷う心配がありません。
また、木の枝や支柱には青と朱色のリボンが結ばれています。済州オルレでは青とオレンジが使われていますが、宮城オルレでは日本を象徴する鳥居と国鳥トキのくちばしの色にちなんで朱色が採用されています。青が「順方向」、朱色が「逆方向」を示しており、リボンは風に吹かれると遠くからでもよく見えるため、道を確認するときはすぐ近くではなく少し遠くを見るのがコツです。
多賀城コースの基本情報
宮城オルレ多賀城コースは、JR仙石線多賀城駅をスタート地点とし、多賀城跡ガイダンス施設をゴールとする約8.5キロメートルのコースです。所要時間は約3時間で、アップダウンが少ないため初心者でも安心して楽しめます。
このコースの最大の特徴は、1300年の歴史に彩られた名所旧跡を巡ることができる点にあります。野田の玉川や浮島といった歌枕の地から始まり、2024年8月に国宝に指定された多賀城碑、そして2024年に復元された壮大な多賀城南門へと至る道のりは、まさに歴史の教科書を歩いているかのような体験を提供してくれます。
オープニングイベントの盛況
2025年11月16日に開催されたオープニングイベントには、約1,200人もの参加者が集まり、多賀城市内を散策しました。このイベントはアジア・トレイルズ・カンファレンス2025の一環として開催され、国内外からトレッキング愛好家が集結する大規模なものとなりました。なお、同時期にオープン予定だった「蔵王・遠刈田温泉コース」は、クマの出没が相次いだため翌年春に延期となっています。
アクセス方法と交通案内
多賀城コースへのアクセスは、仙台駅から非常に便利です。JR仙石線を利用する場合、仙台駅から多賀城駅まで約20分で到着します。ただし、仙石東北ラインは多賀城駅に停車しないため、仙石線の各駅停車を利用する必要があります。
コースのゴール地点である多賀城跡ガイダンス施設の最寄り駅は、JR東北本線の国府多賀城駅です。仙台駅から国府多賀城駅までは約14分、運賃は242円となっています。多賀城駅と国府多賀城駅の間はコミュニティバスが運行しているほか、徒歩で約25分の距離にあるため、逆回りでコースを楽しむことも可能です。
多賀城の歴史と成り立ち
多賀城は、奈良時代から平安時代にかけて東北地方の政治・文化・軍事の中心地として約300年間機能した、日本の歴史において極めて重要な拠点です。神亀元年(724年)に大野東人によって創建され、当時の大和朝廷が東北地方を統治するための陸奥国府と鎮守府が設置されました。
多賀城は「遠の朝廷(みかど)」と呼ばれた九州の大宰府と並ぶ重要な拠点であり、都である平城京を中心に、西には大宰府、東には多賀城が置かれることで、古代国家の骨格が形作られていたといえます。この地理的配置は、当時の日本における統治体制の全体像を示す重要な証拠となっています。
多賀城の構造と規模
多賀城は、仙台湾や仙台平野を一望できる丘陵上に立地しています。一辺が約1キロメートルのいびつな四角形に塀で囲まれ、南・東・西に門が開かれていました(北門は現在も未確認)。城の中央には政庁が置かれ、重要な政務や儀式、宴会などが行われました。
政庁は東西103メートル、南北116メートルの長方形に築地塀を巡らせており、内部には正殿や東西の脇殿、南門を配置していました。城内の各所には実際の行政事務を行う役所や兵士の住居なども配置されており、まさに古代の行政都市としての機能を備えていました。
多賀城の4つの変遷期
多賀城は約300年の歴史の中で、4つの大きな変遷期を経験しました。第1期は神亀元年(724年)の大野東人による創建です。第2期は天平宝字6年(762年)の藤原朝狩による大改修で、この時期に多賀城の規模と威容が大きく拡大され、最も華やかな時代を迎えました。第3期は宝亀11年(780年)の伊治公呰麻呂の乱による焼き討ちからの復旧、第4期は貞観11年(869年)の陸奥国大地震からの復興です。
現在復元されている多賀城南門は、最も華やかだった第2期の姿を再現したものとなっています。
鎮守府の移転と多賀城の役割変化
延暦21年(802年)、坂上田村麻呂が蝦夷への討伐を行い、戦線の移動に伴って鎮守府は胆沢城(現在の岩手県奥州市)へ移されました。しかし、多賀城は陸奥国府として引き続き機能し、11世紀の中頃まで東北地方の行政の中心としての役割を果たし続けました。
多賀城には、日本史に名を残す多くの人物が関わっています。創建者の大野東人をはじめ、大改修を行った藤原朝狩、万葉歌人の大伴家持、征夷大将軍の坂上田村麻呂、源融、歌人の藤原実方、源義家、源頼朝、西行、南北朝時代の北畠顕家、そして江戸時代には俳聖・松尾芭蕉がこの地を訪れています。
日本三大史跡としての価値
多賀城跡は、奈良の平城宮跡、九州の太宰府跡とともに「日本三大史跡」に数えられています。大正11年に国の史跡に指定され、昭和41年には特別史跡に格上げされました。これは、多賀城が日本の古代史において極めて重要な位置を占めていることの確かな証といえます。
コース上の見どころを詳しく解説
多賀城碑(国宝・壺碑)
多賀城コースのハイライトの一つが、2024年8月に国宝に指定された「多賀城碑」です。この石碑は奈良時代に建てられたもので、碑面には多賀城の創建と修造について刻まれています。
碑文によると、多賀城が神亀元年(724年)に大野東人によって設置されたこと、天平宝字6年(762年)に藤原恵美朝臣朝狩によって修築されたことが記されています。また、都(平城京)、常陸国、下野国、靺鞨国、蝦夷国から多賀城までの行程も記録されており、当時の交通網を知る貴重な史料となっています。
この碑は「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれ、歌枕として多くの歌人に詠まれてきました。江戸時代には松尾芭蕉がこの碑を訪れ、古代の姿をそのままにとどめていることに深く感動し、涙が落ちるばかりであったと「おくのほそ道」に記しています。多賀城碑は、群馬県の多胡碑、栃木県の那須国造碑とともに「日本三古碑」の一つに数えられており、その歴史的価値は計り知れません。石材は花崗砂岩(アルコース砂岩)で、碑身は高さ約1.96メートル、幅約1メートル、厚さ約50センチメートルとなっています。
多賀城南門の壮大な姿
2024年に多賀城創建1300年を記念して復元された多賀城南門は、コースの見どころの一つです。この南門は多賀城の正門にあたる入り口で、古代東北の政治・文化・軍事の拠点としての歴史的役割を反映した壮大な建造物となっています。
復元された南門は、桁行(正面の幅)が10.5メートル、梁行(奥行き)が6.6メートル、基壇を含めた高さは14.5メートルにも達します。両側に伸びる築地塀も高さ5メートルと大規模であり、かつて東北地方の中心として発展した国府多賀城にふさわしい、堂々たる威容を示しています。
屋根には約1万6千枚の瓦が使われ、門や柱などには赤土などで朱色が施されています。発掘調査の成果と奈良時代の現存する建物を参考に、第2期(8世紀中頃)の姿が忠実に再現されました。復元工事は2019年に始まり、2022年12月に門の本体が完成し、2025年4月から一般公開されています。
野田の玉川と能因法師の歌
野田の玉川は、宮城県塩竈市と多賀城市を流れる砂押川の支流で、全国「六玉川」の一つとして知られています。六玉川とは、野田の玉川(塩竈市)、井手の玉川(京都府)、野路の玉川(滋賀県)、高野の玉川(和歌山県)、調布の玉川(東京都)、三島の玉川(大阪府)の6つを指します。
平安時代の歌人・能因法師は、この地を訪れて「夕されば 潮風越して みちのくの 野田の玉川 千鳥鳴くなり」と詠みました。この歌は『新古今和歌集』に収録され、野田の玉川の名を全国に広めました。昔はこのあたりまで潮が満ち、月見の名所とされていました。松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅でこの地を訪れており、新緑の季節には満開のツツジが道標となる美しい景色が広がります。
浮島神社と万葉集
「浮島」は万葉集の時代から歌に詠まれてきた歌枕の地です。山口女王が恋人である大伴家持へ送ったとされる歌に詠まれた歌枕「浮島」が、現在の「浮嶋神社」だといわれています。また、『拾遺和歌集』には源順の歌「さだめなき人の心にくらぶれば ただうき島は名のみなりけり」が収録されており、浮島の名は平安時代から広く知られていました。
末の松山と津波伝説
末の松山は、多賀城市八幡の独立小丘陵にある景勝地で、2014年10月6日に「おくのほそ道の風景地」の一つとして国の名勝に指定されました。平安時代から「歌枕」として遠く都の人々にも知られてきた場所で、大きな津波が襲っても「末の松山」を越えることはできないとのいわれから、越すに越せない大きな存在を意味するようになりました。
『古今和歌集』に収録された「末の松山」はその後多くの歌人に詠まれ、「ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑの松山 なみこさじとは」(清原元輔)など、みちのくを代表する歌枕として非常に有名になりました。元禄2年(1689年)5月8日には、松尾芭蕉らもこの地を訪れています。芭蕉が訪れた当時は松林が広がっていましたが、現在は2本の松が残るのみです。
興井(沖の石)の風情
多賀城市の南に位置する「興井(おきのい)」は、「沖の石」や「沖の井」とも呼ばれ、末の松山の南に位置する歌枕の地です。直径20メートルほどの池の中に岩が露出しており、『千載和歌集』にある二条院讃岐の歌や『古今和歌集』にある小野小町の歌が有名です。元禄2年(1689年)5月8日、「おくのほそ道」の旅で芭蕉は壺碑と対面した後、野田の玉川を経て興井を訪ねました。
多賀城廃寺跡の歴史的意義
多賀城廃寺跡は、多賀城と同時期に創建された多賀城の付属寺院跡です。仏教の力で東北地方の安定を図るため建てられました。寺の名称は伝わっていませんが、多賀城市西部の山王遺跡から発見された「観音寺」という文字が書かれた土器から、この名称が多賀城廃寺の名前であった可能性が高いと考えられています。
伽藍配置は、東に三重の塔、西に金堂を配置し、その北に講堂が置かれるという構成で、大宰府(福岡県太宰府市)の付属寺院・観世音寺と共通しています。これは、多賀城が大宰府と同等の重要拠点であったことを示唆しています。多賀城跡とともに大正11年に史跡、昭和41年に特別史跡に指定されました。
多賀城政庁跡で古代を体感
政庁は多賀城の中心施設であり、重要な政務や儀式、宴会などが行われた場所です。東西103メートル、南北116メートルの長方形に築地塀を巡らせており、内部には正殿や東西の脇殿、南門を配置していました。現在は基壇や礎石が整備され、古代の政庁の規模を体感することができます。
東北歴史博物館で学びを深める
コースのゴール付近にある東北歴史博物館は、宮城県が運営する歴史系博物館で、1999年に開設されました。JR国府多賀城駅に隣接しており、アクセスも便利です。総合展示室では、旧石器時代から近現代までの東北地方全体の歴史を、時代別の9つのコーナーに分けて展示しています。また、3階にある「こども歴史館」では、触れる、使う、聞くなど五感を使った学習体験ができます。
館内では、約1300年前の古代都市・多賀城の映像を大型モニターで楽しめるほか、南門復元記録映像や3Dモデルによる古代の建物、出土品に触れることができます。特別史跡の歴史を学べ、御城印やお土産も購入できます。
多賀城跡あやめ園の花の名所
多賀城跡の一角に位置する多賀城跡あやめ園には、約2万1千平方メートルの敷地に、800種300万本のアヤメ、カキツバタ、ハナショウブが植栽されています。アヤメは5月下旬、カキツバタは6月上旬から中旬、ハナショウブは6月中旬から下旬ころに見頃を迎えます。
毎年6月には「多賀城跡あやめまつり」が開催され、郷土芸能などのステージイベント、野だて、おみやげ品の販売などが行われます。夜にはLEDライトによる幻想的なライトアップも楽しめます。まつり期間中は多くの市民と観光客で賑わい、その数は年間約5万人にも達します。
万葉歌人・大伴家持と多賀城の深い関わり
大伴家持は『万葉集』末期の代表歌人であり官人で、大伴旅人の子として生まれました。家持の生涯で最大の業績は『万葉集』の編纂に加わったことであり、全20巻のうち巻17から巻19に自身の歌日記を残しました。家持の歌は『万葉集』の全歌数4516首のうち473首を占め、万葉歌人中第一位を誇ります。江戸前期の国学者・契沖の研究以来、『万葉集』の最終的な整理編纂者と考えられています。
家持と多賀城の歴史的つながり
天応2年(782年)6月、家持は陸奥按察使鎮守将軍を兼ねて多賀城に赴き、翌年2月には持節征東将軍に任命されました。延暦4年(785年)8月28日、家持は多賀城で没したとされています。ただし、家持がこの任のために実際に多賀城に赴任したか、遙任の官として京都に留まっていたかについては両説があり、死没地にも平城京説と多賀城説があります。多賀城市文化センターの中庭には、大伴家持が多賀城に赴任したことを追慕するための歌碑が立てられており、家持自身の歌が刻まれています。
賀陸奥国出金詔書歌の意義
家持の代表作の一つに「賀陸奥国出金詔書歌」があります。これは、陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡)で金が産出されたことを受けて、感激した聖武天皇が詔を下した際に詠まれた歌です。この歌に含まれる「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」は、太平洋戦争中に玉砕を報せる大本営発表の前奏曲として流れた「海ゆかば」(作曲:信時潔)の歌詞として使われました。
万葉の草木を楽しむ
多賀城コースでは、四季を彩る万葉植物も楽しむことができます。春にはヤマブキやシャガ(アヤメ科)、秋にはヒガンバナといった、万葉集に詠まれた草花が道々に咲いています。千三百年を経て紡がれる歴史と人々の営み、四季を彩る万葉の草木たちを楽しめるのも、このコースならではの魅力です。
松尾芭蕉と「おくのほそ道」ゆかりの地
松尾芭蕉は元禄2年(1689年)、江戸を出立し美濃国大垣に到着するまでの半年間、東北・北陸の名所旧跡や歌枕を訪ね、紀行文『おくのほそ道』を完成させました。この旅の途中、芭蕉は多賀城を訪れ、壺碑(多賀城碑)と対面しました。芭蕉は「おくのほそ道」の中で、この碑が古代の姿をそのままに現前していることに深く感動し、涙が落ちるばかりであったと記しています。
国指定名勝「おくのほそ道の風景地」
『おくのほそ道』の作品の影響により、ゆかりの地が多くの人々によって守られ、現在まで良好な景観が保たれてきました。これらを相互につながりをもつ一連のものとして評価したのが、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」です。多賀城市では、平成26年(2014年)10月6日、「壺碑(つぼの石ぶみ)」「末の松山」「興井」の3か所の歌枕が国の名勝に指定されました。
芭蕉が歩いた道をたどる
元禄2年(1689年)5月8日、芭蕉は壺碑と対面した後、野田の玉川を経て興井を訪ねました。そして末の松山にも足を運び、「松の間々皆墓原」という光景に無常を感じています。芭蕉の足跡をたどりながら、同じ歌枕の地を巡ることができるのも、多賀城コースの大きな魅力です。300年以上前に俳聖が見た景色に思いを馳せながら歩くことで、歴史との深いつながりを感じることができるでしょう。
ウォーキングの準備と服装のポイント
オルレを快適に楽しむためには、適切な服装選びが重要です。トップスは、吸汗速乾性の高いシャツを選びましょう。綿などの天然素材は、汗をかいたときや雨に濡れた時に乾きにくく、体温が奪われてしまうので避けることをおすすめします。特に合成繊維の吸汗速乾タイプの高機能ウェアがおすすめです。
パンツは、季節に合った丈の長さと機能性で選びましょう。夏はショートパンツやハーフパンツ、冬はロングパンツなど、季節に合わせて選ぶのがおすすめです。裾が広がったワイドパンツや、ダボっとしたシルエットのパンツは、足さばきが悪くなるので避けましょう。
シューズは、足に負担がかかりにくく、快適に歩けるものを選びましょう。ソール(靴底)に厚みがありクッション性が高いものがおすすめです。足に合わない靴は、靴ずれやマメの原因になります。実際に靴を履いて、自分の足に合ったシューズを選びましょう。
季節に応じた服装の選び方
春と秋は寒暖差が激しいため、体温調節がしやすい服装を心がけましょう。脱ぎ着しやすい薄手のウィンドブレーカーやパーカーなどのライトアウターがあると安心です。夏は汗・紫外線・暑さ対策を念頭に置いた服装を心がけましょう。シャツやパンツはUV機能と速乾性を備えたものを選び、帽子やサングラスも必需品です。冬は防寒対策を重視しましょう。アウターは登山やアウトドア用のマウンテンパーカーが重宝します。寒さ対策に効果的なインナーとタイツも必須です。
持ち物の準備
ウォーキングに持っていきたいアイテムとしては、タオル、水筒(水分補給用)、UVケアアイテム(日焼け止めなど)、小銭入れ、雨具(折りたたみ傘やレインウェア)、カメラやスマートフォン(写真撮影用)、地図やガイドブックなどがあります。歩いているときに邪魔にならないように、ウォーキングには小さめサイズのカバンを選びましょう。体に密着するタイプなら荷物が上下に揺れず快適に歩けます。
初心者へのアドバイス
ウォーキングを始めるにあたって、最初からすべてのグッズやウェアを揃える必要はありません。まずは普段着を活用して始め、徐々に機能的なウェアを揃えていくのがおすすめです。多賀城コースはアップダウンが少ない初心者向けのコースですので、普段あまり運動をしない方でも安心して楽しむことができます。ただし、約8.5キロメートルを3時間かけて歩くため、無理のないペースで歩くことを心がけましょう。
観光ボランティアガイドの活用
多賀城市観光協会では、観光ボランティアガイドを派遣しています。ガイドが特別史跡多賀城跡や国宝多賀城碑、多賀城南門などの歴史的文化遺産について、わかりやすく案内してくれます。歴史に詳しくない方でも、ガイドの説明を聞きながら歩くことで、多賀城の1300年の歴史をより深く理解することができます。事前に予約が必要な場合がありますので、多賀城市観光協会にお問い合わせください。
多賀城跡ガイダンス施設の見どころ
コースのゴール地点にある多賀城跡ガイダンス施設では、デジタル技術により約1300年前に栄えた古代都市・多賀城を再現した映像を楽しむことができます。大型モニターで南門復元記録映像を視聴したり、3Dモデルによる古代の建物や出土品に触れることができます。また、施設内では御城印やお土産も購入できますので、散策の記念にいかがでしょうか。
季節ごとの楽しみ方とイベント情報
春の多賀城
春は新緑が美しい季節です。ヤマブキやシャガ(アヤメ科)などの万葉植物が咲き誇り、歴史散策に最適なシーズンです。気候も穏やかで、長時間のウォーキングにも適しています。
夏の多賀城とあやめまつり
毎年6月には「多賀城跡あやめまつり」が開催されます。800種300万本のアヤメ、カキツバタ、ハナショウブが見頃を迎え、まつり期間中の土・日曜日には郷土芸能などのステージイベントが行われるほか、野だて、おみやげ品の販売などが行われ、家族みんなで楽しめます。LEDライトによる幻想的なライトアップも行われます。
秋の多賀城
秋には紅葉と彼岸花が美しい季節です。万葉集に詠まれた草花を楽しみながら、涼しい気候の中で歴史散策を楽しむことができます。
冬の多賀城
冬は観光客も少なく、静かに歴史と向き合うことができる季節です。防寒対策をしっかりとして、凛とした空気の中を歩いてみてはいかがでしょうか。
東日本大震災と末の松山の教訓
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、東北地方の沿岸部に甚大な津波被害がもたらされました。多賀城市でも周辺の市街地で2メートルの浸水がありましたが、末の松山に波がかぶることはありませんでした。
古来より「大きな津波が襲っても末の松山を越えることはできない」という言い伝えがありましたが、東日本大震災においてもその言い伝え通り、末の松山は津波から守られました。このことは、先人たちの言い伝えや歌枕に込められた意味を改めて考えさせられる出来事でした。歴史散策を通じて、防災について考えるきっかけにもなるでしょう。
まとめ
宮城オルレ多賀城コースは、1300年の歴史に彩られた古都・多賀城を五感で体験できる素晴らしいウォーキングコースです。国宝の多賀城碑、復元された多賀城南門、歌枕として知られる野田の玉川や末の松山など、日本の歴史と文化が凝縮された見どころが満載です。
万葉歌人・大伴家持が最期を迎えたとされるこの地、俳聖・松尾芭蕉が感動の涙を流した場所を、あなた自身の足で歩いてみてください。約3時間の歴史散策を通じて、奈良時代から続く悠久の歴史に思いを馳せ、心身ともにリフレッシュすることができるでしょう。
初心者でも安心して楽しめるアップダウンの少ないコースですので、ぜひ週末のお出かけ先として検討してみてはいかがでしょうか。仙台駅から電車で約20分というアクセスの良さも魅力です。千三百年を経て紡がれる歴史と人々の営み、四季を彩る万葉の草木たちを楽しみながら、あなただけのオルレ体験を見つけてください。









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