京のモダン建築を歩く 下京編 ウォーキングコースは、2025年12月4日に日本ウォーキング協会が開催する、京都の近代建築を巡るウォーキングイベントです。このコースでは、明治から昭和初期にかけて建設された歴史的建造物を歩きながら鑑賞でき、龍谷大学大宮学舎の擬洋風建築、伊東忠太設計の西本願寺伝道院、任天堂旧本社を活用したホテル丸福樓など、京都の近代化を象徴する建築群を体験できます。千年の都として知られる京都ですが、実は明治維新後の近代都市への変革期に建てられた「モダン建築」も数多く残されており、下京区はその中心地として機能してきました。本イベントは「認定大会IVV」として開催され、健康増進と文化探訪を融合させた企画となっています。この記事では、コースで巡る各建築物の魅力や歴史的背景、見どころを詳しく解説していきます。

京都の近代化と下京区の歴史的意義
京都は「千年の都」として平安京以来の歴史を誇る街ですが、その都市景観を形成する重要な要素として「近代(モダン)」の時代があります。1869年(明治2年)の東京奠都により、天皇と公家が去った京都は、人口減少と産業衰退という未曾有の危機に直面しました。この存亡の機に際し、京都は保守的な古都の殻を破り、西洋の先進技術と文化を貪欲に取り入れることで「近代都市」としての再生を図ったのです。
この時期に建設された琵琶湖疏水、水力発電、そして番組小学校といったインフラと教育制度は、京都の復興の象徴でした。それに伴い建設された数多くの近代建築群は、当時の市民の気概と美意識を今に伝えています。下京区は京都駅という陸の玄関口を擁し、古くからの門前町である本願寺、花街の島原、そして近代的な商業・金融の中心地である七条・烏丸通が混在する、極めて多層的な都市空間となっています。
なぜ京都は「近代建築の宝庫」なのか
京都が多くの近代建築を残すことができた理由として、明治期以降、大きな災害や戦争による被害を受けなかったことが挙げられます。第二次世界大戦においても空襲を免れたため、明治から昭和初期にかけて建設された建築物が奇跡的に現存しているのです。また、京都の先人たちは衰退の危機に際して近代化を積極的に推進し、古都としての価値を守りながら新時代にふさわしい都市へと変貌を遂げていきました。明治時代に文明開化が始まると、京都でも日本最初の水力発電所が建設され、日本初の路面電車が開通するなど、近代化の最前線を走ってきた歴史があります。
龍谷大学大宮学舎とは:擬洋風建築の最高到達点
コースのハイライトの一つとなるのが、七条大宮に位置する龍谷大学大宮学舎です。ここは日本の近代建築史において極めて特異な位置を占める「擬洋風建築」の宝庫であり、本館、北黌(ほっこう)、南黌(なんこう)、旧守衛所が国の重要文化財に指定されています。
擬洋風建築とは、明治初期にまだ本格的な西洋建築の教育を受けていない日本の大工棟梁たちが、見様見真似で西洋の建築意匠を取り入れ、伝統的な木造技術を駆使して建設した和洋折衷の建築様式を指します。それは「西洋の石造建築を木造で模倣する」という技術的な挑戦であり、明治という時代の熱気を物質化したものと言えるでしょう。
大宮学舎本館の建築的特徴と木造石貼りの技法
1879年(明治12年)に竣工した本館は、擬洋風建築の白眉と評されています。外観は白く輝く石造建築に見えますが、構造体は実は木造です。柱や壁の表面に薄い石材を貼り付けることで、西洋の組積造(レンガや石積み)の重厚感を演出しようとしたのです。これは「石脈(いしめ)」と呼ばれる仕上げ技法であり、当時の大工がいかにして「西洋」のイメージを具現化しようと苦心したかが見て取れます。近くで見なければ木造とは気づかないほどの精巧な職人技が施されています。
正面にはバルコニーを支える列柱が並び、この柱の柱頭には西洋建築の古典様式の一つである「コリント式」を模した装飾が施されています。本来のコリント式はアカンサスの葉をモチーフにしますが、ここでは日本の伝統的な彫刻技術が応用され、どこか仏教的な、あるいは和風の植物文様を思わせる独特のデザインとなっています。これは西洋の図版を参照しつつも、日本人の感性で再解釈された「和製コリント式」とも呼ぶべき意匠です。
2階部分には連続するアーチ窓が設けられ、開放的なバルコニーとともに典型的なコロニアル・スタイルの影響を感じさせます。しかし屋根に目を転じると、そこには日本伝統の寄棟造(よせむねづくり)に桟瓦葺(さんかわらぶき)が採用されています。白い洋風の壁面に黒い和瓦の屋根が乗るという構成は、擬洋風建築ならではの風景であり、文明開化期の日本の精神構造を象徴しているようでもあります。
教育と宗教の近代化を象徴する建築群
この建築群は、元々浄土真宗本願寺派(西本願寺)の僧侶養成機関である「大教校」として建設されました。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、仏教界が生き残りをかけて西洋の近代教育制度を導入し、世界に通用する宗教者を育成しようとした決意の表れです。重要文化財の正門から入ると、正面に本館、左右に北黌・南黌が配置されたキャンパスは、明治12年当時の雰囲気を奇跡的に留めており、一歩足を踏み入れればタイムスリップしたかのような感覚に陥ります。
西本願寺伝道院の魅力:伊東忠太の妖怪とアジア主義
龍谷大学のすぐ北側、西本願寺の東向かいに建つ赤レンガの異形の建築が「西本願寺伝道院」です。1912年(明治45年/大正元年)に「真宗信徒生命保険株式会社」の本館として建設されたこの建物は、日本の建築史学の祖であり、築地本願寺の設計でも知られる伊東忠太の作品です。
伊東忠太の建築思想「建築進化論」とは
伊東忠太は、法隆寺の柱に古代ギリシャ建築のエンタシス(胴張り)の影響を見出したことで知られ、建築を通じてアジアとヨーロッパの文化的つながりを探求し続けた建築家です。彼は日本建築を単なるガラパゴス的な進化の結果ではなく、シルクロードを通じた世界建築史の一部として位置づけました。伝道院は、そのような彼の壮大な歴史観と、彼自身のユーモアが凝縮された実験場となっています。
様式を超越した独創的なデザイン
伝道院の建築様式を一言で説明することは不可能に近いでしょう。窓の形やドームの曲線には、イスラム建築(サラセン様式)の影響が色濃く見られます。基本構造はイギリス積みの赤レンガ造であり、ヴィクトリア朝のクイーン・アン様式のような華やかさを持っています。屋根周りの処理や塔屋のデザインには、日本の城郭建築やインドの仏教建築の要素が混在しており、これらが渾然一体となって無国籍かつ幻想的な雰囲気を醸し出しています。
石造りの妖怪たちを探す楽しみ
伊東忠太建築の代名詞とも言えるのが、建物の随所に配置された「妖怪(モンスター)」や動物たちの彫刻です。西洋のゴシック建築には、雨樋の機能を持つ「ガーゴイル」として怪物の彫刻が付けられますが、忠太の妖怪たちは必ずしも機能的役割を持たず、純粋な装飾として、あるいは建物の守護者として棲みついています。象、獅子、あるいは正体不明の架空の生き物たちが、石の手すりや柱の陰から通行人を見下ろしている様は、厳格な宗教施設の中に隠されたウィットです。参加者がぜひ探してみるべきポイントと言えるでしょう。
旧任天堂本社屋「丸福樓」:アール・デコと現代の対話
コースを下り、鍵屋町へと向かうと、世界的なゲーム企業・任天堂の創業の地に辿り着きます。ここでは昭和初期の旧本社屋が、世界的建築家・安藤忠雄の監修によりラグジュアリーホテル「丸福樓(まるふくろう)」として2022年4月に再生されています。
任天堂の歴史と「丸福」の由来
1889年、山内房治郎によって創業された任天堂は、当初花札やトランプの製造販売を行っていました。ホテル名となっている「丸福」は、かつて任天堂が使用していた屋号「株式会社丸福之店」に由来します。現存する旧本社屋は1930年(昭和5年)に竣工したもので、当時の任天堂が近代的な企業へと成長していく過程を象徴する建物です。
アール・デコ様式の意匠を堪能する
旧本社棟の外観は、1930年代に流行したアール・デコ様式の影響を色濃く反映しています。外壁には表面を櫛引したような溝のある「スクラッチタイル」が全面に貼られています。これはフランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテルで使用して以来、昭和初期の日本のモダン建築で大流行した素材であり、陰影のある豊かな表情を作り出します。窓周りや壁面には直線と曲線を組み合わせた幾何学的な装飾が施されており、建物の外壁にはかつての屋号や商品の看板の跡が保存されて歴史の証人となっています。
安藤忠雄による新築棟との融合
本プロジェクトの最大の特徴は、既存の3棟(事務棟、住宅棟、倉庫棟)に加え、安藤忠雄が設計した新築棟が増築された点にあります。安藤建築の代名詞である「打ち放しコンクリート」のシンプルで力強い新築棟が、装飾的なスクラッチタイルの旧棟に寄り添うように配置されています。この素材のコントラストが、昭和と令和という時間の経過を可視化しているのです。
創業家である山内家がプロデュースしたライブラリー「dNa」には、任天堂の歴史を物語る花札、トランプ、歴代のゲーム機などがアート作品のように展示されています。内装の壁紙や床タイルも当時のものを可能な限り復原・保存しており、企業の「DNA」を体感できる空間となっています。
なお、監修を務めていたレストラン「carta.」は2025年5月末で閉店しており、2025年9月頃に新コンセプトのレストランがオープン予定です。外観見学が主となるウォーキングイベントにおいても、この「常に変化し続ける生きた建築」という視点は重要でしょう。
富士ラビット(旧日光社):自動車時代の幕開けを告げる建築
七条通を歩くと、ひときわ目を引くレトロな洋館が現れます。「富士ラビット」という愛らしい名前で親しまれているこの建物は、かつて自動車販売会社「日光社」の社屋兼ガレージとして建てられた、国の登録有形文化財です。
1925年(大正14年)頃に竣工したこの建物は、鉄筋コンクリート造地上3階、地下1階建の構造を持ち、現在は飲食店として利用されています。この建物の最大の魅力はそのファサード(正面外観)にあります。建物上部には「富士ラビット」という大きな文字や、自動車のタイヤを模したとも言われる円形のレリーフが掲げられています。これは「看板建築」の一種とも言え、商業施設としていかに目立つかという当時の広告戦略が建築デザインに落とし込まれています。
1階部分はかつて自動車が出入りするためのガレージであったため、開口部が大きく取られているのが特徴です。大正末期の京都において、自動車という最先端のテクノロジーを扱う場所がいかにモダンでハイカラな存在であったか、その高揚感が伝わってくるデザインとなっています。
開化堂カフェ(旧京都市電内浜架線事務所):産業遺産の傑出した再生事例
河原町七条の近くに位置する「開化堂カフェ」は、産業遺産のリノベーションの傑出した事例です。京都は日本で初めて路面電車(市電)が走った街ですが、1978年に全廃されました。この建物は、かつて市電の河原町線運行を支えた「内浜架線事務所」兼車庫として1927年(昭和2年)に建設されたものです。市電関連の建築物が次々と姿を消す中、現存する数少ない遺構となっています。
素材感を生かした独自のリノベーション
茶筒の老舗「開化堂」の手によってカフェとして再生された際、あえて建物の「古さ」を残すデザインが採用されました。壁面や天井は、古い塗装が剥がれかけたコンクリートの質感をそのまま活かしています。これは「わび・さび」にも通じる美意識であり、新品には出せない時間の蓄積を感じさせます。
かつての車庫や事務所ならではの高い天井と大きな窓からは、柔らかな自然光が降り注ぎます。店内に置かれた開化堂の茶筒(銅・真鍮・ブリキ)が経年変化していく様と、建物が経てきた時間が呼応し、極めて質の高い空間を作り出しています。
きんせ旅館:花街の記憶と和洋折衷の極北
コースから少し足を延ばして島原方面へ向かうと、江戸時代からの花街の歴史を伝える「きんせ旅館」があります。かつて「揚屋(あげや)」として賑わったこの建物は、大正末期に大改修が行われ、現在はカフェ兼旅館として営業しています。
外観は伝統的な京町家ですが、一歩内部に入ると驚くべき空間が広がっています。メインフロアは高い格天井(ごうてんじょう)を持ちながら、床には幾何学模様の輸入タイルが敷き詰められており、大正時代のダンスホールを彷彿とさせる和洋折衷空間となっています。
特筆すべきは、玄関や欄間に嵌め込まれたステンドグラスです。これらは日本最初期のステンドグラス作家の作品とも言われており、牡丹や鳳凰といった純和風のモチーフが鮮やかな色ガラスで表現されています。自然光を通してみるその色彩は、かつての花街の艶やかさと、大正ロマンの退廃的な美しさを今に伝えています。
三条・四条エリアへの接続:都市軸のモダニズム建築群
イベントコースが地下鉄沿線(烏丸通)を北上する場合、以下の建築群も見逃せないスポットとなります。
1928ビル(旧毎日新聞社京都支局)の魅力
1928年(昭和3年)、昭和天皇の即位大礼に合わせて建設されたことからこの名で親しまれているこの建物は、「関西建築界の父」と呼ばれる武田五一の設計です。建物のバルコニーや窓には、毎日新聞社の社章に由来する「星型」のモチーフが散りばめられています。かつて新聞社であったこの建物は、現在ではギャラリーや、ノンバーバルパフォーマンス「ギア-GEAR-」の専用劇場として活用されており、京都の現代カルチャーの発信地として機能しています。
京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)の重厚な佇まい
三条通のシンボルであるこの赤レンガ建築は、明治建築界の巨匠・辰野金吾の代表作の一つであり、1906年に竣工しました。赤いレンガの壁面に白い花崗岩の帯を走らせる「辰野式」と呼ばれるデザインが特徴で、屋根にはスレート葺きのドームやドーマー窓が配され、威厳に満ちた外観を持っています。
内部の旧金庫室は現在「前田珈琲 文博店」として利用されており、分厚い金庫扉をくぐって入店するという非日常体験ができます。高い天井と重厚な内装に囲まれて飲むコーヒーは格別です。
フランソア喫茶室:自由の精神を象徴する空間
四条木屋町にあるこの喫茶店は1934年(昭和9年)創業で、喫茶店として日本で初めて国の登録有形文化財に指定されました。創業者・立野正一は、芸術家や知識人が自由に議論できる場(サロン)を作りたいと考え、豪華客船のホールをイメージしたバロック調の内装を施しました。
戦時下において、言論弾圧に対する抵抗の場、あるいは前衛芸術家たちの避難所(アジール)としての役割を果たした歴史を持ちます。白いドーム天井と赤いビロードの椅子は、京都における「自由の精神」の象徴です。
12月の京都でモダン建築を歩く魅力
12月の京都は、紅葉シーズンの喧騒が落ち着き、冷たく澄んだ空気が建物の輪郭を際立たせる季節です。落葉した木々の間から建物の全貌が見えやすくなるため、建築鑑賞や写真撮影には最適な時期と言えます。イベント参加者には、建物の「全体像」だけでなく、スクラッチタイルの溝、ステンドグラスの色、コンクリートの風合いといった「ディテール(細部)」に目を凝らすことをおすすめします。
ウォーキングイベントで建築を楽しむポイント
本イベントは「認定大会IVV」として開催されるため、健康増進を目的としたウォーキングを楽しみながら、同時に京都の近代建築を鑑賞できる一石二鳥の企画です。歩くスピードで街を巡ることで、車や電車では見落としてしまうような建築の細部や、街並みの中での建物の位置関係を体感できます。また、同じ趣味を持つ参加者との交流も、このようなウォーキングイベントならではの醍醐味と言えるでしょう。
「生きた建築」として現役で使われる京都のモダン建築
京都のモダン建築の最大の特徴は、それらが博物館のガラスケースの中に収められているのではなく、ホテル、カフェ、劇場、レストランとして、現代の市民生活の中で「現役」として使われている点にあります。丸福樓はホテルとして新たな価値を生み、開化堂カフェや前田珈琲はカフェとして誰もがアクセスできる場を提供し、1928ビルはアートの拠点として機能しています。この「生きた建築(Living Architecture)」としての側面こそが、京都のモダン建築の強みであり、実際に足を運んで体験する価値があるのです。
本イベント「京のモダン建築を歩く 下京編」で巡る建築群は、明治の「擬洋風(龍谷大学)」から、大正の「表現主義・折衷様式(伝道院、きんせ旅館)」、そして昭和初期の「アール・デコ(丸福樓、1928ビル)」へと至る、日本の近代建築史の縮図です。これらは「京都がいかにして近代都市へと脱皮したか」という一つの大きな物語の構成要素であり、歩きながら京都の新たな魅力を発見できる貴重な機会となるでしょう。









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