すみだウォーキングマップで巡る江戸散歩コースと大横川親水公園の魅力

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すみだウォーキングマップは、東京都墨田区が区民の健康増進と地域文化の再発見を目的として発行しているウォーキングガイドです。中でも江戸散歩コース大横川親水公園は、墨田区の歴史と自然を最も深く体感できるルートとして高い人気を誇っています。総延長約1.85キロメートルの大横川親水公園を散策しながら、両国や向島の歴史名所を巡る江戸散歩コースは、東京スカイツリーのお膝元で江戸時代の面影に触れる贅沢な体験を提供してくれます。

この記事では、すみだウォーキングマップの江戸散歩コースと大横川親水公園について、各スポットの見どころや歴史的背景、実践的なコース情報まで詳しくご紹介します。墨田区での散策を計画されている方はもちろん、東京で歴史と自然を楽しめるウォーキングスポットをお探しの方にも役立つ情報をお届けします。

目次

すみだウォーキングマップと大横川親水公園の概要

すみだウォーキングマップは、墨田区が発行する散策ガイドで、区内の歴史・文化・自然を楽しみながら歩けるさまざまなコースを紹介しています。隅田川と荒川という二大河川に挟まれた墨田区は、江戸時代から水と陸、武家文化と町人文化が交錯する独特の土地柄を持っています。高さ634メートルの東京スカイツリーがそびえ立つ足元で、江戸時代から続く路地裏の生活文化が息づいているのが、この街の大きな魅力です。

大横川親水公園は、総延長約1.85キロメートル、総面積約6万3973平方メートルに及ぶ長大な都市公園です。かつて物資輸送に使われていた運河「大横川」を埋め立てて造成されました。江戸時代、大横川は隅田川と小名木川、北十間川などを結ぶ水運ネットワークの一部として機能し、米や塩、薪炭、木材を運ぶ船で賑わっていました。川沿いには材木問屋や倉庫が建ち並び、活気ある水辺の風景が広がっていたのです。

しかし昭和に入ると、陸上交通の発達により水運の重要性が低下しました。さらに周辺地域の工場化が進み、工場排水や生活排水の流入によって水質は劇的に悪化してしまいました。かつて人々が親しんだ清流は、悪臭を放つ状態にまで変わり果ててしまったのです。過度な地下水汲み上げによる地盤沈下も深刻化し、護岸は高く切り立って人々と水辺を完全に分断してしまいました。

転機が訪れたのは昭和50年代のことです。墨田区は大横川の大部分を埋め立て、親水公園として再生する決断を下しました。人工のせせらぎを通して「かつてここに川があった」という記憶を継承しつつ、緑豊かなオープンスペースを創出したのです。こうして大横川親水公園は、かつての物流の動脈から、人々の憩いと健康、そして防災を担う「緑の動脈」へと生まれ変わりました。

大横川親水公園の5つのゾーンと見どころ

大横川親水公園は、北の業平・吾妻橋エリアから南の錦糸町・菊川エリアにかけて、性格の異なる5つのゾーンで構成されています。一本の公園でありながら、歩を進めるごとに景色と体験が劇的に変化するドラマチックな構成が特徴です。

釣川原ゾーンで楽しむスカイツリーの眺望

公園の最北端に位置する釣川原(つりかわら)ゾーンは、東京スカイツリーの巨大な脚部を間近に見上げられる場所にあります。名称は、かつてこの辺りが釣りの名所として親しまれていたことに由来しています。このゾーンのランドマークは、船の形を模した公園管理施設です。これは単なるデザインではなく、かつてこの場所を行き交っていた帆掛け船や荷船へのオマージュとして設計されました。

特筆すべきは、この建物の高さを巧みに利用して設置された長大なローラー滑り台です。子供たちが歓声を上げて滑り降りる姿は、かつての川の活気を現代的な「遊び」という形で蘇らせたかのようです。螺旋階段を登りきったデッキからは、スカイツリーの圧倒的な鉄骨美と下町の街並みを同時に見渡すことができます。足元にはイルカや魚を模したスプリング遊具や3人乗りのロッキング遊具も配置されており、地面には衝撃吸収性のある素材が使用されるなど安全面への配慮も行き届いています。小さなお子さん連れの方も安心して過ごせる空間設計がなされています。

河童川原ゾーンの水遊びスポット

釣川原ゾーンから南へ進むと、より親水性の高い河童川原(かっぱかわら)ゾーンに入ります。夏場には墨田区内で最も子供たちの熱気に包まれる場所です。ここの「じゃぶじゃぶ池」は単なる浅いプールではありません。岩場を配し、緩やかな傾斜をつけることで「流れ」を作り出し、中洲や石橋を設けることで自然の渓流や河原を再現しています。子供たちは水流を堰き止めようとしたり、岩陰に隠れたりしながら、能動的に水と関わることができます。使用される水は濾過・塩素消毒されており、都市の中でありながら安全な「川遊び」を楽しむことが可能です。

「河童川原」という名称は、隅田川やその支流に古くから伝わる河童伝説にちなんだものです。江戸時代、水辺は恵みをもたらすと同時に水難事故の危険もある場所でした。河童は水への畏怖を具現化した妖怪であり、この名称には「楽しく遊んでほしいが、水への注意も忘れないでほしい」というメッセージが込められています。隣接する「わんぱく広場」には木製のアスレチック遊具やタイヤブランコなど、全身を使って遊べる器具が充実しています。

花紅葉ゾーンで味わう都市の中の四季

賑やかな遊び場を抜けると、空気感は一変して静寂と自然美が支配する花紅葉(はなもみじ)ゾーンに入ります。大人が思索に耽りながら歩くのに最適なエリアです。このゾーンのテーマは「渓谷」で、人工のせせらぎが蛇行し、岩を噛み、木々の間を縫うように流れています。護岸には自然石が多用され、植栽にはモミジやカエデ、ツツジなど日本の四季を色濃く反映する樹種が選ばれています。

特に秋の紅葉シーズンには、水面に映る赤や黄色の色彩が美しく、東京のど真ん中であることを忘れさせる幽玄な景色が広がります。遊歩道も単調なアスファルトではなく、山道を模した意匠や飛び石が配置されており、歩くリズムに変化を与えています。視線が自然と足元や周囲の植栽に向くように設計されており、深呼吸をしたくなるような空間演出がなされています。

ゾーンの一角にある「万華池(まんげいけ)」はビオトープとして管理されています。過度な清掃や除草を避け、自然に近い環境を維持することで、トンボやヤゴ、アメンボ、そして野鳥たちのサンクチュアリとなっています。都市生態系の回復という、現代の公園に求められる重要な機能を担っている場所です。

パレットプラザゾーンとブルーテラスゾーン

公園の中間地点に位置するパレットプラザゾーンは、その名の通り区民の活動によって多彩な表情を見せる広場です。円形の広場や幾何学的デザインのパーゴラ(日除け棚)が特徴的で、フリーマーケットや地域の防災訓練、大道芸のパフォーマンスなどの会場として利用されています。日常的にはベンチで読書をする方や太極拳の練習をされる高齢者、ダンスの練習をする若者など、世代を超えた人々が思い思いに過ごす「都市のリビング」として機能しています。タイルの舗装パターンや遊具のデザインには鮮やかな色彩が取り入れられており、周囲の緑や空の青とのコントラストが美しいスポットです。

公園の南端、JR錦糸町駅に近いエリアはブルーテラスゾーンと呼ばれ、洗練された都会的な雰囲気を漂わせています。錦糸町という副都心の繁華街に接しているため、公園のエントランスとしての機能が強いゾーンです。広場には噴水やモニュメントが配置され、夜間にはライトアップされることもあります。水音が都市の喧騒を和らげ、ショッピングや食事の後に立ち寄る方も多い「大人の空間」となっています。ここから北を振り返ると、はるか遠くにスカイツリーの全景を望むことができ、約1.8キロメートルを歩いてきた達成感を味わえます。

大横川親水公園が持つ防災機能

大横川親水公園の美しさの裏には、墨田区の切実な防災への備えが隠されています。木造密集地域が多い墨田区において、この細長いオープンスペースは火災時の延焼を食い止める「防火帯」としての役割を担っています。地下には耐震性貯水槽が埋設されており、災害時に生活用水を供給する拠点となります。ベンチの一部は「かまどベンチ」として、炊き出しに使用できる仕様になっています。美観と防災機能が高度に融合した大横川親水公園は、現代都市工学の成果と言えるでしょう。

江戸散歩コースで巡る両国・回向院の歴史

すみだウォーキングマップの江戸散歩コースの中でも、特に見どころが多いのが両国・本所エリアです。ここはかつて明暦の大火の後に開発された武家屋敷街であり、同時に相撲や花火といった江戸庶民の娯楽の中心地でもありました。

回向院(えこういん)は、JR両国駅の南側、京葉道路に面して建つ寺院で、正式名称は諸宗山無縁寺です。その起源は明暦3年(1657年)の「明暦の大火(振袖火事)」にさかのぼります。死者10万人以上とも言われるこの大惨事では、身元不明で引き取り手のない遺体が多数発生しました。幕府は本所牛島新田に大きな穴を掘って遺体を埋葬し「万人塚」を築きました。その菩提を弔うために増上寺の遵誉貴屋上人が開いたのが回向院です。

この出自から、回向院は特定の檀家を持たず、宗旨宗派を問わずあらゆる「無縁仏」を受け入れる寺となりました。安政の大地震、関東大震災、東京大空襲といった災害の犠牲者、さらには水難事故死者や刑死者に至るまで、歴史の中で行き場を失った魂を弔い続けてきた場所です。

回向院は勧進相撲の発祥の地としても広く知られています。江戸時代、寺社の修復費用を捻出するために行われた勧進相撲が、回向院の境内を定場所として開催されるようになりました。天保4年(1833年)からは春秋の年2回興行が定着し、明治42年(1909年)に旧両国国技館が完成するまで、回向院は相撲の聖地でした。境内に入ってすぐの場所にある巨大な石碑「力塚」は、昭和11年に大日本相撲協会(当時)が歴代の物故力士や年寄を慰霊するために建立したものです。

鼠小僧次郎吉の墓と「削り石」信仰

回向院の墓地で多くの参拝者を集めているのが、鼠小僧次郎吉の墓です。大名屋敷から千両箱を盗み出し、貧しい長屋に小判を投げ込んだという講談のヒーローは、天保3年(1832年)に処刑された後、この無縁寺に葬られました。「長年捕まらなかった」ことから強運の持ち主とされ、「狭い屋敷へ忍び込む」ことから「難関突破」「合格祈願」の象徴としても知られています。博打打ちの間では「金運・勝負運」の神様としても崇められてきました。

特筆すべきは、その独特な参拝方法です。墓石を削ってその粉を持ち帰ると運気が上がると信じられ、多くの参拝者が墓石を削り取っていきました。あまりに削られすぎたため、現在は墓の前に「お前立ち」という削るための専用の白い石が置かれています。参拝者は備え付けの小石でこの石を削り、その粉を紙に包んで持ち帰ります。現代においても続く触覚的な信仰の形は、人々の現世利益への切実な願いを映し出しています。

吉良邸跡と忠臣蔵の歴史を江戸散歩コースで歩く

回向院の裏手、静かな住宅街の中にある本所松坂町公園は、赤穂浪士の討ち入りで知られる吉良上野介義央の上屋敷跡です。白と黒のコントラストが鮮やかな「なまこ壁」に囲まれた一角で、元禄15年(1702年)12月14日未明に大石内蔵助率いる47士が討ち入った歴史的な場所です。

当時の吉良邸は東西約134メートル、南北約63メートル、敷地面積約2,550坪(約8,400平方メートル)という広大な屋敷でした。長屋や庭園、茶室などを備えた高家にふさわしい宏壮な邸宅であったことが古図から判明しています。しかし現在の公園はその約86分の1、わずか29坪(約98平方メートル)ほどに過ぎません。当時の邸宅の北側のごく一部が、地域住民や有志の保存活動によって残されたものです。狭い敷地ながらも稲荷社や井戸、そして吉良上野介の座像が配置され、濃密な歴史空間を作り出しています。

歌舞伎やドラマの『忠臣蔵』では悪役として描かれることが多い吉良上野介ですが、公園にある座像は穏やかで知的な表情をしています。実際に彼の領地であった愛知県吉良町(現・西尾市)では、堤防を築いて水害を防ぎ新田開発を行った「名君」として慕われています。園内の解説板は、幕府の典礼を司った教養人としての吉良の実像にも光を当てており、歴史の多面性を感じることができます。現在は両国三丁目町会によって大切に管理され、地域の歴史的遺産として愛されています。

園内で最も注目されるのが「みしるし洗いの井戸」です。討ち入り本懐を遂げた赤穂浪士たちが、吉良の首級(みしるし)をこの井戸水で洗い清めたと伝えられています。その夜の緊迫感を想像させる強い歴史的存在感を放つ場所です。毎年12月14日に行われる「義士祭」では、供養祭やお茶会が催され、全国から歴史ファンが集まっています。

勝海舟生誕の地と幕末の記憶をたどる

両国・本所エリアは、幕末の英雄勝海舟(幼名・麟太郎)が生まれ育った場所でもあります。両国4丁目の「両国公園」には「勝海舟生誕の地」の碑と詳細な解説板が設置されています。ここはかつて海舟の父・勝小吉の実家である男谷(おだに)家の屋敷があった場所です。

海舟は文政6年(1823年)に貧乏旗本の家に生まれました。父の小吉は無役の旗本でありながら剣術に優れ、市井の無頼漢や親分衆とも付き合いのある破天荒な人物でした。海舟が身につけた身分にとらわれない柔軟な思考や、江戸っ子特有の交渉術は、この本所での生活環境の中で培われたものです。

海舟の幼少期のエピソードとして最も有名なのが、9歳の時に遭遇した野犬襲撃事件です。当時まだ開発途上の本所周辺は野犬が多く徘徊する荒っぽい場所でもありました。狂犬に襲われ瀕死の重傷を負った麟太郎でしたが、父・小吉は毎夜裸で井戸水を浴びて水垢離を取り、金比羅大権現に回復を祈願するなど懸命な看病にあたりました。奇跡的に回復した海舟は、この体験によって並外れた胆力を得たと言われています。このエピソードは、本所という土地が持つ荒々しいエネルギーと勝家の強烈な家族愛を象徴しています。

海舟の従兄にあたる男谷精一郎は「幕末の剣聖」と謳われた直心影流の達人で、本所に道場を構えていました。海舟はここで剣の腕を磨き、さらに男谷の師である島田虎之助にも師事しました。島田は「剣は心なり」と説き、海舟に剣技だけでなく禅の精神や天下国家を論じる広い視野を授けました。本所の道場での日々がなければ、後の江戸無血開城を成し遂げた政治家・勝海舟は存在しなかったかもしれません。

向島エリアの神社とパワースポットを巡る

両国から隅田川沿いに北上すると、街の雰囲気は「武家と庶民の町」から「花街と文人の町」へと変化します。向島エリアは江戸時代から風光明媚な行楽地として知られ、個性的な神社が点在しています。

三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、向島の土手沿いに鎮座する謎と伝説に満ちた神社です。社名は、創立の際に土中から出土した神像の周りを白狐が三回回って消え去ったという伝説に由来しています。この社名に運命的な縁を感じたのが、江戸に進出した豪商・三井家です。「三囲」の文字には「三井」の「井」が含まれ、さらに「三井を囲む(守る)」と読めることから、三井家はこの神社を江戸における守護神として篤く崇敬しました。

現在でもその関係は続いており、境内には三井家の祖霊を祀る「顕名霊社(あきなれいしゃ)」があります。さらに三越池袋店から移設された「ライオン像」が狛犬のように鎮座しています。神社の境内に百貨店の象徴であるライオンがいる光景は、日本でもここだけです。境内の奥にある「三角石鳥居(三柱鳥居)」も見逃せません。3本の柱が正三角形の頂点に配置され、中心で笠木が組み合わさった独特の形状で、三井家の邸宅から移設されたものです。京都・太秦の木嶋神社にある鳥居を模したとされています。

また、元禄6年(1693年)の大干ばつの際、俳人・宝井其角が「夕立や 田をみめぐりの 神ならば」と詠んだところ翌日に雨が降ったという雨乞い伝説も有名です。境内にはこの句を刻んだ「雨乞いの碑」が立っており、言葉の持つ霊力を今に伝えています。

牛嶋神社の撫牛信仰と三輪鳥居

隅田公園に隣接する牛嶋神社(うしじまじんじゃ)は、貞観年間(860年頃)に慈覚大師円仁によって創建されたと伝わる古社で、本所地域の総鎮守です。正面に立つと、まずその特異な鳥居に目を奪われます。大きな明神鳥居の両脇に小さな鳥居が袖のように付いた「三輪鳥居(三ツ鳥居)」は、奈良の大神神社などごく一部の神社でしか見られない極めて珍しい形式です。

境内で有名なのが「撫牛(なでうし)」です。黒光りする石造りの臥牛像は、自身の体の悪い部分と同じ場所を撫でると病気が治ると信じられています。長年多くの人々に撫でられ続けた牛は、滑らかに摩耗し艶やかに輝いています。牛嶋神社では体だけでなく「心」の病にもご利益があるとされ、精神的な平穏を求めて訪れる方も多い神社です。子供が生まれた時によだれかけを奉納し、それを子供にかけると健康に育つという風習もあり、地域の子育て信仰の中心地でもありました。

牛嶋神社から北へ続く隅田川の土手「墨堤(ぼくてい)」は、八代将軍徳川吉宗が庶民のために桜を植えさせたことに始まる桜の名所です。幸田露伴、堀辰雄、永井荷風などの文人がこの地を歩き、作品の舞台としました。春の満開の桜並木の下を歩く体験は、これら文人たちの視線を追体験することでもあります。

すみだの伝統工芸と老舗グルメを楽しむウォーキング

墨田区は「モノづくりの街」としても知られており、ウォーキングの途中で伝統工芸や老舗グルメを楽しむことができます。墨田区では「Museum(博物館)」「Manufacturing(製造)」「Meister(職人)」の頭文字を取った「すみだ3M運動」を展開し、区内の工房やショップの一部を博物館として開放しています。

向島エリアにある片岡屏風店は、都内で唯一の屏風専門店です。「屏風博物館」として伝統的な金屏風からモダンな屏風、仕掛けのある「からくり屏風」まで展示しています。職人が和紙と竹を操り、幾重にも紙を重ねて蝶番を作る「紙蝶番」の技は、日本の空間演出技術の粋と言えます。吾妻橋近くにある「ちいさな硝子の本の博物館」では、ガラスに関する希少な古書や美しいガラス製品が展示されており、ガラスの表面を削って模様を描く「リューター体験」も楽しめます。自分の手でガラスを削る感触を通して、墨田区が誇る「江戸切子」などのガラス産業の歴史を肌で感じることができます。

散策の休憩には向島の老舗甘味がぴったりです。長命寺桜もち「山本や」は享保2年(1717年)創業の老舗です。創業者が土手の桜の葉が散るのを惜しみ、塩漬けにして餅を包んで売り出したのが「桜餅」の始まりとされています。薄く焼いた皮で餡を包み、オオシマザクラの葉で2枚、3枚とたっぷりと包んでいるのが特徴です。葉の強い香りと塩気が餡の甘さを引き立て、店側は葉を外して食べることを推奨していますが、葉ごと食べてその香りを楽しむファンも多くいます。

「言問団子(ことといだんご)」は、在原業平が隅田川で詠んだ「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥…」の歌にちなんで名付けられた和菓子店です。江戸末期の創業以来、串に刺さず小豆餡、白餡、味噌餡の三色の団子を皿に盛って供するスタイルを守り続けています。店内の座敷で庭を眺めながらいただく団子は、上品で洗練された江戸の粋そのものです。

すみだウォーキングマップのコース情報とおすすめの季節

最後に、すみだウォーキングマップのコースを実際に歩くための実践的な情報をご紹介します。

江戸散歩コースは推定距離約7キロメートル、見学時間を含まない純粋な歩行時間で約1時間45分のコースです。歩数目安は約10,000歩で、消費カロリーは約315kcalとなっています。両国駅から錦糸町方面、そしてスカイツリー方面へと大きく移動するため、しっかりとしたウォーキングになります。平坦な道が多いものの距離があるため、履き慣れた靴での参加をおすすめします。

一方、文学散歩コースは推定距離約3キロメートル、所要時間約45分とコンパクトなルートです。歩数目安は約4,300歩、消費カロリーは約135kcalです。距離は短いものの、寺社や和菓子屋に立ち寄る頻度が高いため、ゆっくりとした散策型のペースになります。歴史探訪をメインにしたい方に最適です。

コース名推定距離所要時間歩数目安消費カロリー
江戸散歩コース約7km約1時間45分約10,000歩約315kcal
文学散歩コース約3km約45分約4,300歩約135kcal

すみだウォーキングマップを楽しむのに最適な季節もご紹介します。春(3月下旬〜4月上旬)は隅田公園の桜が満開となり最も華やかな季節ですが、混雑は避けられません。初夏(5月〜6月)は大横川親水公園の緑が深まりじゃぶじゃぶ池がオープンする時期で、アジサイの見頃とも重なります。秋(11月下旬〜12月上旬)は花紅葉ゾーンの紅葉が美しく気候も歩きやすい季節で、12月14日の吉良邸「義士祭」に合わせて訪れるのも魅力的です。冬(1月〜2月)は空気が澄んでスカイツリーの景色が最も鮮明に見える時期で、向島百花園の梅まつりや隅田川七福神巡りとの組み合わせもおすすめです。

すみだウォーキングマップを手に大横川親水公園の5つのゾーンを歩き、江戸散歩コースで歴史名所を巡る体験は、東京にいながら江戸時代の記憶と現代の都市文化の両方に触れられる贅沢な時間です。ぜひご自身の足で、墨田区の奥深い魅力を発見してみてください。

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